2018年 金井美恵子「カストロの尻」(新潮社) 金井美恵子の小説を初めて読んだが,1947年生まれでぼくと同学年である.白状すれば,やはりこれまで読んだことのない倉橋由美子とはっきり区別がついていなかったが,倉橋は1935年生まれだから,ちょうど一回り上である. 全部で11編の作品からなるが,最初と最後が評論で,中の9つが小説という構成である.いずれも雑誌「新潮」に掲載されたもので,最初からこういうシリーズの形式にする意図があったのかもしれないが,掲載は間欠的で2013年5月号から2016年11月号にわたっており,本としての並び順は必ずしも掲載順ではないので,違うかもしれない.やはり評論の方が読みやすく,小説はその独特の文体にときどき惑わされて付いていけない感じを抱かされることがある. 小説のうち六篇は,岡上淑子のコラージュ作品から触発されて書かれたものだという.岡上淑子という人もよく知らなかったが,1928年生まれの写真家・コラージュ作家というので,今年90歳である.この創作経緯からも想像されるが,印象的な視覚イメージが豊富に登場することが一つの特徴である.とくに映画はふんだんに参照され,トリュフォーの「華氏451」の撮影日記「ある映画の物語」があとがきに登場するが,その訳者は山田宏一である.Wikipediaによれば,金井は「幼少の頃より映画を見続ける大のシネフィルかつ辛辣な映画評論家であり,その関係で蓮實重彦や山田宏一と親交が深い」そうだ.それでスタンダールの「カストロの尼」やフローベルの「ボヴァリー夫人」が出てくるのも自然なのか. 一面真っ赤な色彩の鮮やかな表紙が付けられており,装丁「金井久美子」とあって最初は本人が装丁もやっているのかと思ったが,久美子の方は作家の姉らしい.妹の本の装丁をよく手掛けているようだ. 深井晃子「きものとジャポニズム 西洋の眼が見た日本の美意識」(平凡社) 昨年8月に出た本で,新聞の書評で見てすぐに買った.「カストロの尻」に続いて初老の女性の本を読んだが,これは純粋に評論である.深井は1943年生まれというから,自分や金井より5歳年長である.元静岡文化芸術大学教授という. きものについてもパリを中心とするファッションについても,およそ縁がない.きものの用語,前身ごろ,などは言葉として知っているものの,具体的にどこを指すのかすら怪しかったが,本書の図(p.88)でようやく理解した.きものはほどけばまたもとの生地にもどり,いつでも仕立て直せる,ということもあまり身に着いた知識ではなかった.ただ,フランス印象派時代のジャポニズムについては,多少の知識があった. 美術史上,19世紀後半のヨーロッパにはジャポニズムが大きな影響力を持った.それは北斎等の浮世絵や屏風,漆器,陶磁器,などの美術品,工芸品を通して広がったが,その中にきものもあった.とくに,19世紀後半の絵画に,浮世絵,屏風などとともに,きものが頻繁に描かれる. しかし,きものはそれ以前にオランダを通してヨーロッパに入っていたという.驚いたことにフェルメールの天文学者や地理学者が着ているガウンのようなものは,きものなのだという.それらはヤポンセ・ロッケンと呼ばれる男性用室内着で,江戸幕府がオランダ商館長に贈った時服が元だというのである.東インド会社はこのような服に目を付けて輸入したらしいが,それでは需要を賄えないので,それをまねたインド製などが作られた. というような話に始まり,江戸の小袖,モネの「ラ・ジャポネーズ」,絵画の装飾性に関連してクリムト,マチスへと話が続いていく.それからはパリ・モードの話になる.1867年のパリ万博に新橋の芸者を派遣したことがきっかけで,パリ・モードにきものが影響を与えるようになった.きものの文様がデザインに取り入れられ,リヨンで日本のモチーフによるテキスタイルが盛んに製作される.そして,パリのデザイナーであるポール・ポアレ,その後の時代のマドレーヌ・ヴィオネは,身体を締め付けない自由さ,直線性,抽象性などの点で,きものに親近するデザインを作ってきた.その流れが,川久保玲,山本耀司,につながるのだという. 王銘琬「棋士とAI――アルファ碁から始まった未来」(岩波新書) アルファ碁のことを語ったものだが,かなり熱のこもった書である.プロ棋士としてAI碁の出現をもちろん無視するわけでなく,反発するわけでなく,単に脅威として退けるわけでなく,よく理解したうえで真摯に対応しようとしている.その視野は囲碁に限定されず,AIが人間に及ぼす影響を広く捉えようとしている. 最初読んだときは,記述の前後で見方が混乱しているところもあるように感じたが,読み返してみるとそういう感じもしない.当初は,この本に伊藤毅志や加藤英樹の協力があり,さらに文章の編集者がいるらしいことから揺れが生じているのではないかと疑ったが,それは思い過ごしで思ったより一貫性のある本である.ゴーストライターが書いたということではなく,本人の思いが溢れでていることが,随所に感じられる. 関心の中心は,当然のことながら人間とAIとの違いである.それは主にIII章に書かれている.まず,人間にとってはストーリーが重要な判断材料だが,AIにはストーリーは関係ないという.ここでストーリーとは一手一手のつながり,ある局面までの展開と争点,そこからの展望,などのことだという.あるいは「ストーリーとは観察されるものに対する意味づけ」だとされる(p.91).また,人間にとっては部分と全体の区別,それらの関係の認識が重要だが,AIには部分という概念がないという.部分がない一方で,全体の「戦略」というものもない. この辺を見ると,王銘琬がかなりよくアルファ碁のことを理解していることが分かる.アルファ碁では,局面の入力に対し局面の評価と候補手の勝利確率を出力する.したがって,確かに部分という概念はなく,たとえば定石のパターンと現局面の部分とのマッチングを取って適用する,というようなことはしていない.だから人間から見るとそれまでの流れからすると「そっぽ」ではないかと思われるような手をしばしば打つ.本書でも図38(p.127)に,人なら喜んでつぐようなのぞきに対して,すっぽかして全然違うところに打ち,のぞかれたところを突っ切られる例が載っている.これはマスターの自己対戦の譜であるから,そもそも「のぞき」とか「つぎ」という概念自体が人間の解釈によるものとなるが,アルファ碁はそのような「言葉」を使って手を決めているわけではない.ただ,王はこれがAIの一般的な特徴のように理解して議論しているが,部分とパターンのマッチングを取って手を決めるような方法を取るAIがあってもよいわけで,実際,過去の囲碁プログラムやその他のゲームプログラムには,そのような方法を取るものもあったはずである.アルファ碁はそのような戦略を取らずに,結果的に成功した. 王銘琬は本因坊や王座のタイトルを取ったことがある一流棋士で,本人が「ゾーンプレス」と呼ぶ戦法で他の棋士にはないユニークな手を打つ.本書で初めて知ったが,王は2014年にゴ・トレンドという台湾を本拠地とする囲碁ソフトウェア開発チームに参加したという.そのチームの助っ人社員から,ディープラーニングを使ったらどうかという提案が2015年5月にあったが,それを蹴ってしまったことを後悔している,ということも書いている. AlphaGoMasterがGoogle主催の「囲碁未来サミット」で柯潔を破ったのは2017年の5月だが,AlphaGoZeroの論文がNatureに4月に投稿されていたことに王は驚いていて, 「注目の技術による「マスター」より強いバージョンがあるのに,それに一切触れずに,5月の「囲碁未来サミット」を行ったことになります.・・・真剣にサミットに参加したものには釈然としない気持ちが残ったでしょう.」(p.79) と書いている.しかし,この論文がNatureで採録になったのは2017年の9月なので,その査読期間中に内容を漏らすわけにはいかなかっただろう.その辺は研究者の世界への理解の違いが現れているといえるかもしれない. アンリ・ファーブル,奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 (第1巻下)」(集英社) 昨年,この第1巻の「上」を読んだ,下ではやはり狩りバチとして,アラメジガバチ,ハナダカバチ,ヌリハナバチが取り上げられる.この「下」の最初に置かれている13章「ヴァントゥー山に登る」は,そこでアラメジガバチを見つけるに至る経緯を書いた導入文だが,グループによる山登り,植物の探索,天候の急変などを描いて,ファーブルのエッセイストとしての力量をよく示す. アラメジガバチは,その前に報告されたタマムシツチスガリ,コブツチスガリ,キバネアナバチ,ラングドックアナバチなどと同じように,幼虫の餌にするヨトウムシを麻痺させてそこに卵を産みつけると,巣に蓋をして去っていく.後は幼虫が自分でその餌を食べつくした末に,羽化する.この種の狩りバチは,必要ならいくつかのイモムシを蓄えてから卵を産む.ところがハナダカバチは砂地に巣を作り,卵を産みつけると,鳥のように毎日新しい餌のハエやアブを取ってきて幼虫に与える.ファーブルらしいのは,途中で幼虫を捕獲して自分で餌を与え,どのくらい食べるのか実験するところである. もう一つこの巻で力を入れている実験は,ハチの帰巣能力を試すことである.親の雌バチを2キロ離れたところに閉じた箱に入れて運び,そこで放す.すると半分以上がちゃんと巣に戻る.それは風景を記憶しているからではないらしい.同様な実験をヌリハナバチでも繰り返し行い,驚くべき精度で巣に戻ることを報告している. Nathaniel Popper, "Digital Gold - Bitcoin and the inside story of the misfits and millionaires trying to reinvent money" 2016年5月に出た本で,その年の10月にKindle版を購入している.Satoshi Nakamotoの論文が出たのは2008年10月である.ぼくはその内容を2014年4月に夜ゼミで紹介しているが,Mt. Goxの破綻が起きたのが2014年2月である.この本はビットコインの歴史を経年的に追っているが,最後は2014年のAllen Co. 主催のBitcoin conference におけるWences CasaresとBill Gatesとの間のやりとりの話で突然終わっている.しかし,それが2014年のいつなのかが分からない.ネットで調べてもそれらしいconferenceのことが見つからない.それまでの記述から,どうも6月より後らしいことが分かる. こういうことを長々と書いたのは,自分がどのようにビットコインについての関心を持ったかということを振り返る意味もあるが,ビットコインの歴史は短く,しかもその間に大きな変動があったから,この本の記述範囲のすぐ後からまた多くのことが起こっているに違いないという感想が湧くからでもある.実際,日本では2017年1月に仮想通貨取引所大手のコインチェックで大規模な不正アクセスにより580億円相当の金が,失われるという事件が起きた.これは同じ仮想通貨でもビットコインではなく,後発のNEMだが,この影響で仮想通貨一般への信用が大きく影響を受けた. この本ではBitcoinの技術的な話はほとんど出てこない.しかし,Nakamotoの論文が出て10年経つが,そのアルゴリズムだけでなく,当初はNakamotoが書いたプログラムそのものも,基本的に同じものが使われて動いているのは驚くべきことである.この間の取引スケールの増大はとてつもないものである.ただ,現在のビットコインの大きな問題の一つは,たとえば1分当たりに可能な取引量がきわめて小さいことにあるらしい. 最後の方に出てくるNakamotoの正体を見つけたというNesweekの誤報騒ぎは知らなかった.しかし,本物のSatoshi Nakamotoは,最初の1年で現在の価値でいえば10億ドル相当のビットコインを貯めているはずだが,一度もドルや他の通貨に交換したことがないだけでなく,通貨として使用したことがないらしい, 司馬遼太郎「街道をゆく(22,23) 南蛮のみち(I,II)」(朝日文庫) 3月に初めてポルトガルに行った.出発間近になって「地球の歩き方 ポルトガル」を買ったが,そこにこの書の「ベレンの塔は…テージョ川に佇みつくす公女のようにも見えてくる」が引用されている.また,ネット上のリスボン案内でも,同じ引用がある.「地球の歩き方」からの孫引きだろうが.それで出発の日に羽田空港内の本屋でこれを探してみたが,これがないだけでなくそもそも「街道をゆく」のシリーズがまったく見当たらない.司馬遼太郎が死んだのは1996年で,すでに12年が経っているから空港の本屋でも置いていないということになるのか.寂しいものである. ポルトガルにいる間にアマゾンで注文をしておいた.さすがに朝日文庫で絶版になっているわけではなかった.以前に自分で「司馬の「街道をゆく」は旅行案内ではないのはもちろん,旅行記,紀行文というものですらなく,旅をする地域にまつわる歴史を縦横に渉猟するものであるから,旅の前に読もうが後で読もうが,とりたてて違いはない.」と書いているが,まさにその通りである. Iではもっぱらバスクの地を旅する.テーマはフランシスコ・ザビエルである.ザビエルは1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた.イグナチウス・デ・ロヨラもバスク人だが,この二人の関係をあまり正しく理解していなかった.ロヨラがイエズス会を始めたわけだが,そこに強引にザビエルを誘い込んだらしい.二人はパリ大学で一緒だったが,ロヨラは軍人で戦争で傷を負って故郷に戻ったあと,30代半ばを過ぎて学生になっている.一方のザビエルは若く,貴族の子で気品があり明るいが,ロヨラは学業のできは悪いが偏執的で,司馬の言い方に従えば「妖気に満ちていた」.その執念でザビエルを引っ張り込んだという. イエズス会でバスクという連想では,栄光のときのセトアインという神父が思い出される.中学1年のときに英語を習ったが,その英語たるやすさまじいものだった.栄光では独自の英語の教科書を作っていて,それがとくに中学の各学年用のものはレベルが高く,通常の文部省検定教科書より進みが早いことで評判で,他の私立学校でも採用している例があった.たとえば駒場の同じクラスに京都の洛陽高校出身の坂上がいたが,洛陽でも栄光の英語の教科書を使っていたという.その教科書の各章末にExcersizesがあったが,それを「エクゼルシース」と発音する.バスク語というよりはスペイン語訛りだろう.当時,初めて英語を習う中学1年生にこのような英語教師を付けるのは,とんでもない学校だと思ったものである. 日本に長く住んで日本語で多くの著述をしたカンドウ神父は,バスク人である.中学か高校の国語の教科書にカンドウの文章が載っていたのをよく覚えているが,その後はほとんどその著作に触れていないと思う.しかし,中学高校のときの国語の教科書は,新しい学年になって配布されたときに読むのが楽しみだった.普段の読書ではあまり読むことのない現代詩も,教科書にあったから読む機会を得た.現代詩と言ってもそれほど新しいものではなく,記憶にあるのは薄田泣菫,山村暮鳥,三好達治,草野心平,上田敏,北原白秋,室生犀星といったところである.別に予習というような心がけではなく,純粋に楽しむために教科書を読んだと思う.今の教科書がどんな内容か知らないが,あの頃は文学的な色彩が強かった.国語の教師も文学好きが教師になったというケースが多かったのではないか.当時から国語教育が文学に偏っている,もっと論理的な,あるいは実用的な文章を読み書きする能力を育成しなければいけない,という批判はあったと思う,しかし,そういうことでもなければ,カンドウの文章を読み,かつ読んだことを今でも覚えているということは,ありえなかったろう. サン・ジャンという町にあるカンドウ神父の生家を司馬たちは訪れているが,その隣の三階建ての建物の壁に石板がはめ込まれていて,そこに聖フランシスコ・ザビエルという文字が彫刻されていることを司馬が偶然発見する(p.195).ザビエルの父方の先祖がここに住んでいたらしい.しかし,カンドウの著書のどこにも,そのことは書かれていないという. ザビエル城に着いて,そこに一人で住んでいる修道士の親切ぶりも,感動的である.訪れた翌日,予定を変えて再度訪ねたときに,カメラマンが忘れてきた簡易カメラのビニール・ケースを持って,待ち構えていたというエピソードがある. II ではまずマドリードに行き,後半でリスボンなどポルトガルを訪れる.司馬は明らかにスペインよりポルトガルに好い印象を持つ.「テージョ川の公女」という表現は1つの章のタイトルになっている.ぼくはベレンの塔がある河口の地までは行かなかった.しかし,マディラの帰りに一泊したホテルはアルファーマにあったが,司馬たちもこの旧市街を歩いたようで,ファドの話とともに出てくる.司馬たちはファドを聞かせるレストランに行っている.ぼくはレストランではファドを聞かなかったが,町を歩いて男の歌い手が,練習なのか店の宣伝なのかファドらしきものを外で見事に歌っているのを聞いた.この司馬の本で,アルファーマ出身のアマリア・ロドリゲスという有名な歌手がいることを知ったが,Amazon Musicでアマリア・ロドリゲスの曲を見つけて聴いた.アマりアが見出されてファドが世界的に知られるようになったらしいが,なるほどそういう力が感じられる. 吉田類「酒は人の上に人を造らず」(中公新書) 吉田類は酒屋探訪記で有名なことは知っていたが,本を読むのは初めてだ.いつだったか服部に横須賀中央の居酒屋に連れて行ってもらったことがある.それが吉田類が紹介している店とのことだった.ウェブで検索してみると,「吉田類の酒場放浪記」という番組があるらしく(BS-TBS),そこで横須賀中央だけでも「天国」「泡屋」「一福」「中央酒場」「興津屋」とたくさん出てきてどこだったのかが分からない. 吉田は俳人ということだが,大酒飲みで有名な土佐の出身だそうである.一方で山歩きもするようで,深酒の翌朝は山歩きで酒気を払うという.東京なら高尾山,札幌なら藻岩山だそうで,後者は名前すら知らなかった. 佐藤正午「鳩の撃退法(上・下)」(小学館文庫) 佐藤が直木賞を取った「月の満ち欠け」より前の作品で,直木賞に合わせて文庫化され宣伝されていたので,「月の満ち欠け」と一緒にこれも買って,こっちを先に読んだ.これは山田風太郎賞を取っている. 文庫では上・下の2巻になっていて,合わせて1100ページある.その長さを構成に破綻なく読む側を飽きさせずに書ききる筆力には,驚嘆のほかない.偽札の行使,一家族の失踪,という事件が展開し,ヤクザ,デリヘル,などが登場するが,それを主人公でもと直木賞作家が事件として記録しているのか,小説として描いているのか,あえて見分けがつかないようにし,時間も場所も前後左右に飛ぶが,つじつまはきちんと合っているように見せる,という技巧を凝らしたフィクションである.技巧と言えば,まず最初の50ページの間は,三人称ではあるが語り手の視点が幸地秀吉にある.ところが文庫本ではp.51に来て,突然 「実はこのとき,コーデュロイのズボンの太腿あたりを指でつまみながら,片足で飛び跳ねていたのは僕である.つまり昨年二月二十八日午前三時過ぎ,ドーナツショップで幸地秀吉と相席していた男,それが僕で,ここからこの物語で活躍することになる.」 という一節が現れて驚かされる.確かにその後は視点がこの作家で津田伸一という名を持つ男に移るだけでなく,人称まで「僕」という第一人称に変わるが,それに慣れるのにしばらくかかる. そういえば,冒頭の表題の前に1ページがあって,そこに 「この物語は実在の事件をベースにしているが,登場人物はすべて仮名である.僕自身を例外として.津田伸一」 と曲者の文がある.最初は佐藤正午がそう言っているのかと思ったが,見返して「津田伸一」という署名で置かれた文であることに,仕掛けがあったと気づく.この小説がいかにも作り上げられたフィクションであることを示すと同時に,作家の津田が登場人物であるとともにこの小説を書いている当人として仮託されているという複雑な構造を,見事に示すものともなっている. 佐藤正午「月の満ち欠け」(小学館) こっちが直木賞を取った方だが,ぼくには前の作品の方が数段上と感じられた. 転生の話である.昔から転生物語はたくさん作られてきたはずで,現代に近いところでは三島由紀夫の「春の雪」に始まる「豊饒の海」がある.そういう意味ではいかにもフィクションの典型で,「鳩の撃退法」のようなフィクショナルなものを書く佐藤には,得意な型かもしれない.しかし,現代を舞台として別にSFというわけでもなくこのような話が展開されると,読者としては,というか少なくともぼくとしては,その世界に素直に入り込めなかった.途中ではどこかでどんでん返しがあるのではないか,実はこういう仕掛けがあったというような落ちがつくのか,と思ったりしていたのだが,そのようなこともないまま,終わってしまう.直木賞の選考委員の間ではどのような評価だったのだろうか. もちろん,個々のエピソードについてはやはり大した筆力を感じさせる.たとえば三角と瑠璃が最初に会う場面から,その後の展開のところなど. この本は岩波から出ており,しかも書下ろしでその成立事情にも特殊性がありそうだ. アンリ・ファーブル,奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 (第2巻上・下)」(集英社) 上では,まずファーブルが広大な庭を持つセリニャンの家に移住し,そこをアルマスと名づけて観察と実験による研究の場としたことが語られる.第1巻を書いて出版したのはオランジェで,そこにはアヴィニヨンから移り住んだのだが,アヴィニヨンでは高等中学の教師をしていた.そこに15-16年勤めたが,教授資格を取らなかったのでこの間,昇任・昇給は一切なかったという(第1巻上第3章訳注).アヴィニヨンに移ったのは1870年だが,その理由は,若い娘たちに「植物の受精」の講義を行ったことをいいがかりとして,日ごろからファーブルを好ましくないと考えていたカトリック教会派の人たちから排斥運動を受け,教師を辞めさせられたという(第1巻下第21章訳注).そこで交流のあったスチュアート・ミルから借金して,オランジュに引っ越した.しかし,その地で最愛の次男ジュールを亡くすという悲劇が起こる.第2巻の巻頭には本書をジュールに捧げるという言葉がある.しかし直接には,オランジュの家主がプラタナスの並木を幹の途中から無残に伐ったことに腹を立てて,セリニャンに移ったのだという. 第2巻では第1巻の後半に続いて,狩りバチが取り上げらえる.アラメジガバチ,トックリバチ,ドロバチ,ナヤノヌリハナバチ.それらの巣作り,麻酔術,帰巣能力を探るのは第1巻と同じだが,もちろん同じ話の繰り返しではない.新しいところでは,クモを狩るベッコウバチ.またキイチゴに住むミツバツツハナバチが1列に産む卵が孵化した後,どういう順序で外に出てくるかという問題を,周到な実験で跡づけているのが面白い. そしてなによりもファーブルの面目が躍如するのは,最後の4章で取り上げられるゲンセイとツチハンミョウである.これらは狩りバチに寄生する鞘翅目の甲虫だが,スジハナバチなどのハナバチに寄生する.虫が虫に寄生するということ自体を初めて知ったが,その仕組みの巧妙さ,それを発見するファーブルの観察力には驚かされる.たとえばスジハナバチヤドリゲンセイの雌は,大量の卵をハナバチの巣の坑道の入口に産みつける.孵化した幼虫はじっとその場所にいる.その期間は何と7か月に及ぶが,その間幼虫は何の食物も取らない.そしてハナバチの雄が巣に入ってくる春に,その胸の毛に取りつく.しっかり取りついて振り落とされないように,肢に爪があるなど体の構造が最適化されている. 次に,ハナバチの雄と雌が交尾する瞬間に,ゲンセイは雄から雌に飛び移る.そして,雌が産卵する瞬間にその卵に乗っかる.卵はハナバチが収集した花の蜜の上に産み落とされる.ゲンセイの幼虫は,まずその卵を食べ,その卵の皮は蜜の海にゲンセイが沈み込まないための浮きの役目に使われる.そしてある程度の体になった後は,蜜にからめとられれずにそれを食べつくす. 実に驚くべき複雑な仕掛けだが,それを解き明かすファーブルの直観と集中力には敬服のほかはない.ファーブルは進化論を徹底的に批判しているが,こういう「本能」がどのように作られたと思っていたのだろうか.やはり万能の神がそうしたという理解だったのか.一方で,現代の進化論はこのゲンセイの行動がどのような進化プロセスで獲得されたと解釈するのだろうか. 先崎彰容「未完の西郷隆盛: 日本人はなぜ論じ続けるのか 」(新潮選書) 今年のNHK大河ドラマは西郷隆盛ものである.林真理子が原作だが,なぜ林が西郷を取り上げたのだろうか.もっとも林真理子の作品は1つも読んでいないから,見当がつかないだけでなくさほど関心もない. 大河ドラマでは以前に司馬遼太郎の「翔ぶが如く」が西田敏行を西郷役として放送されたが,それは1990年だという.大河ドラマは比較的忠実に見てきているが,これはほとんど記憶にない.親父が死んだ年なので,ドラマが始まった正月はそれどころではなかったのかもしれない.また,美季子が小さいときは,食事のときなどはテレビを付けないことが習慣だったので,そのためかもしれない. 本書は昨年の終わりに出たが,新聞の書評で割と高く評価されていたので買っていた.出版のタイミングは明らかに大河ドラマに合わせている.ただ,内容はブームに乗った際物というわけではない.著者の先崎彰容(せんざきあきなか)という人はこれまで聞いたことがなかったが,東大の倫理学科を出てから東北大で博士を取った人で,現在は問題の日大危機管理学部の教授である.この学部ができたのは2016年でまだ新設間もないが,今年日大でアメフットの危険タックル問題が大きなニュースになって日大に批判が集中したとき,日大の監督・コーチのみならず大学の理事長,学長などの上層部の対応が後手後手で,組織としての危機管理がなっていないと非難された.それができたばかりの危機管理学部と結びつけられて,揶揄の対象ともなった. ネットで調べたところでは,日大の危機管理部は理事長の田中英壽が亀井静香と組んで作ったもので,警察や自衛隊の官僚の天下り先になっているという.しかし,本書を読む限りでは著者の先崎はリベラルな思想の持ち主のようで,あまり体育会系右翼とは肌が合いそうにない. 本書は西郷の生涯や思想を直接論じるものではない.先崎の取った戦略は,西郷を論じた日本思想史上の人物を取り上げて,それら視点から西郷を見ようというものである.取り上げられるのはそれら思想家や文学者の著作で,福沢諭吉の「丁丑公論」,中江兆民の「民約訳解」,頭山満の「大西郷遺訓講評」,橋川文三の「西郷隆盛紀行」,江藤淳の「南洲残影」,司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の6人6冊である.それぞれが1つの章を構成し,その章のタイトルが順に「情報革命」「ルソー」「アジア」「天皇」「戦争」「未完」と工夫されている,この中で僕が読んだことがあるのは「南洲残影」だけである.思想家・文学者としては他にも三島由紀夫,柳田国男,丸山真男,吉本隆明なども出てくる. しかし,不思議なことに最終章と本書そのもののタイトルに現れる「未完」という語がどこから来るのか,まったく述べられない.最初は司馬の「翔ぶが如く」が未完なのかと思ってしまった.ようやく「あとがき」に 「いまだに西郷星の周囲をめぐるだけで,西郷本人を書くだけの勇気がもてない.だから本書は,あくまでも未完である.「未完の西郷隆盛」とは筆者と西郷との格闘がいまだに続いていることを表してもいるである.」 と出てくる.しかし「表しても」という表現を見ると,本文のどこかにも未完についての説明があって,ぼくが見落としているのかもしれないという気にもなるが,注意深く見直しても「未完」の語は第6章の本文には出てこないようだ. 同じような意味で著者の見落としではないかと思うのは,「はじめに」に 「あたかも西郷星の周囲をまわるようにその後の近代日本思想史は展開していった.福沢諭吉,中江兆民,勝海舟,内村鑑三,頭山満,来島恒喜,幸徳秋水,夢野久作,丸山眞男,橋川文三,島尾敏雄,吉本隆明,三島由紀夫,竹内好,江藤淳,司馬遼太郎といった人物が,本書の舞台演出を支えている」 とありながら,これらの名前で本文に出てこないものがある点である.電子書籍ではないので検索ができないから,見落としが十分ありうるが,この中で幸徳秋水と夢野久作は本文に登場しないように思う.ただ,夢野久作は主要参考文献のリストに夢野久作「近世怪人伝」が載せられている.夢野久作のKindle版の全集を持っているのでそれで調べると,この作品で「怪人」として最初に取り上げられているのが,頭山満である.だから第3章にでてきてしかるべきだが,見つからない.幸徳秋水も出てくるとしたら第3章かと思われるが,これも見つからない. 星野博美「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」(文芸春秋社) この本は2015年10月に出ているが,買ったのは昨年ではないかと思う.きっかけは例によって新聞の書評ではないかと思うが,昨年買ったとすると新刊書の書評ではなく,少し遅れた紹介という感じかもしれない.ともかく,何でこれを買ったのかまったく記憶にない.法政から大量の本を持ち帰り,それをある程度整理したが,ついでに書斎の書棚も一部入れ替えた.そのときに,比較的最近買って近いうちに読もうという本を並べた棚の列を作ったが,その中の1冊にこれがあった.それで読み始めてから初めて,これがキリシタンを扱ったものであり,男かと思っていた著者が女性であることを認識したという,心もとない読書の開始だった. 副題に「私的キリシタン探訪記」とあるように,ノンフィクションとしては「私」が学校でキリスト教にどう接し,どこに行って何を見,どう思ったかというエッセイ風の記述が多いところが,変わっている.たとえばリュートを初心者として練習する話が延々と続くが,これがどう展開するのか読み手としては見当がつかずまごつく. この自分の体験をベースに語るスタイルには時折驚かされる.たとえば,15歳のときに夏休みの1ヶ月間,アメリカに行ったという.そこで会った同じ年頃のアメリカ人の名前にノアとかサラとがあって,それが旧約聖書由来の名前と知り,なぜ旧約聖書なのかと聞いたら,僕たちユダヤ人だからという返事を聞く.そこで初めて旧約聖書はユダヤ教の聖典で,キリスト教の起源はユダヤ教と聞いて,晴天の霹靂だったという.ミッション系の中学に3年いて,これが「晴天の霹靂」とは本当だろうか.話を面白くするための脚色ではないか.その感想として「私はそこに日本のミッション・スクールにおけるキリスト教の布教の限界が隠されていたとしか思えないのである.」と書く.こういう強引な「私はこう思う」という表現が本書のいたるところに登場する. 今年,2018年の6月30日にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎,熊本両県)を世界文化遺産に登録することを決めた.もちろん本書が出版された後の話だが,遺産登録ための準備期間は長かったはずだ.それが本書に何らかの影響を与えているだろうか. たとえば,島原を訪れて日野江城後に行き, 「道しるべや看板,案内の類がほとんどなく,ここをアピールしようという積極的意思がまったく感じられない.ここも一応,「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部であるはずなのだが・・・」(p.194) また,長崎のサント・ドミンゴ教会跡のことをスペインで思い出し, 「長崎市立桜町小学校の隅にある,あの遺構を訪れた時のことは今でも心に焼きついている.この遺構は小学校建て替えの際に校庭の下から発掘され,そこをそのままガラス張りにして,石畳や地下室が見渡せる構造だった.四〇〇年前をしのばせる,日本で唯一の教会遺構である.にもかかわらず,まるで二〇〇〇年前の遺跡を見ているような,ある特定の人たちが死に絶えた,という滅亡感が漂っていた.長崎はいま,教会関連遺産群の世界遺産申請に沸いているが,この遺構がリストに入っていないことが私には解せない.」(p.391) という言及があるが,これらは潜伏キリシタンに焦点を移す前のことを言っているのかと思われる. 本書でもっとも成功していると思うのは,第7章「スペイン巡礼」である.体験派のこの著者の特徴が現れている.まずバスクの地のビトリアを,スマラガの故郷として訪れる.スマラガはドミニコ会の宣教師で,1602年(慶長7)フランシスコ・モラレスとともに来日,薩摩甑島(こしきじま)に上陸した.1605年大村に赴き,投獄中の宣教師や信徒を慰問激励し,その後平戸に渡った.のち同会副管区長に任命され,迫害下の有馬の信徒を励ましていたが,1617年(元和3)大村で捕らえられ鈴田牢に投獄.5年間監禁された後,1622年フランシスコ会監察師アポリナリオ・フランコらとともに,放虎原で火刑に処せられた. 牢内で多くの手紙を書いた.手紙は監視の目をかいくぐって,外に持ち出され残った.囚われのほとんどの宣教師たちが手紙を残している.1867年福音(ふくいん)殉教者に列せられた.これらのデータは一部ウェブで検索して補ったが,本書ではここまでスマラガについての言及は案外少ない.ビトリアに着くと,スマラガが洗礼を受けた聖ペドゥロ教会はあっさり見つかってしまう.その教会の司祭ルーベン神父に話を聞く. 次に,ハシント・オルファネールの生地,ビナロスの近くのラ・ハナを訪ねる.連絡が取れた当地の司祭のレオン神父はコンゴ人である.ビトリアではスマラガを知る人はほとんどいなかったが,ラ・ハナにはハシントの生家も残っており,教会には殉教後,同僚のディエゴ・コリャードによって届けられたハシントの手紙が大切に保管されている.その教会で行われるミサに参列して,話をしてくれと司祭に言われる. ここではハシント・アルファネールがよく知られているだけに,日本人が彼を殺したと理解されている.司祭に,当時は日本人のキリシタンが30万人いて,そのうちの4万人が殺されたことを伝えると,それを知らなかった司祭は直ちにミサで聴衆に話し,聴衆が感動する. 最後に星野はロヨラの生地を訪れる.村自体がロヨラと呼ばれ,大聖堂と生家がある.この一連の旅は,意図としても場所としても,司馬遼太郎の「街道をゆく 南蛮のみち(I,II)」と重なる.ところが不思議なことに,巻末の文献一覧に司馬の「街道をゆく」は「17 島原・天草の諸道」のみが挙げれていて,「南蛮のみち」は挙げられていない.これはそうとう意識した上のことと思われるのは,司馬の方は何と言ってもザビエルを中心において訪ね歩いているのに,星野はザビエルを避けて,日本での殉教者の後はあえてロヨラを訪ねているからである. 樋口満「体力の正体は筋肉」(集英社新書) この夏はほとんど家にいるので,明らかに運動不足である.それで最近出たこの本のKindle版を買ってみた.思ったよりちゃんとした本であるが,基本的な知識を説明してる第1章から第4章は速読した.しかし,本書の眼玉は具体的なトレーニング方法を書いている第5章である.そこで一番に勧めているのがボート漕ぎ(rowing)である.そのために高い機械を買う必要はなく,エクササイズチューブを使えばよいという.それで早速アマゾンで,トレーニング用のゴムバンドのセットと,チューブを使った簡単なボート漕ぎ器を注文したら,すぐ届いた.ちょっとずつそれを使い始めている. \