2019年 呉座勇一「応仁の乱」(中公新書) この本が大ベストセラーになったのは,実に不思議だ.2016年10月25日に初版が出ている.評判になっているのは知っていたが,とくに応仁の乱に関心もなかったので,手を出さずにいた.だから買ったのは遅く,第30版なのだが,それが2017年11月30日となっていて,1年のうちに30版とはすごい.帯には「40万部突破」と書いてある. 2017年5月27日付けと思われる産経ニュースのウエブ上のインタビュー記事によると,著者の呉座自身が「ある程度歴史に詳しい読者を想定して書いた真面目な本が,こんなに売れるとは全く予想外」と言っている.「奇をてらったタイトルを付け,とにかく単純化して分かりやすく書くという昨今の新書のトレンドとは正反対の内容.そういう本が売れたのは,非常にうれしい」とも言っている.確かにそうだ.日本の読者層の質の高さを改めて感じさせる出来事と言えよう. 確かに読んでみると,「楽に読める」という類の本ではない.新書と言ってもページ数も300頁あり,出てくる人名の数もおびただしくて,簡単には頭に入らない.しかし,そこにはいろいろな工夫があって,少しページをおいて登場した人物や事件については,カッコ書きで前出のページが参照される.それをまめに拾って読み返すと,だんだん話に繋がりがついてくる. 著者の工夫は興福寺の二人の高僧,経覚と尋尊の日記に焦点を当てて,そこから応仁の乱を照らし出そうとすることである.京都を舞台とする応仁の乱だが,その影響は京に近い奈良だけでなく,近畿地方全体に及んでいる.昨年の12月の初めに奈良に行って興福寺を訪れたので,書き出しの 「奈良というと何を思い浮かべるだろうか,「鹿」という人もいるかもしれないが,東大寺の大仏を真っ先に想起する人が多いのではないだろうか.しかしながら,中世においては奈良とは興福寺のことであった.」 という文章は腑に落ちる.さらに奈良ホテルに4泊したが,嘉吉の変のところで, 「鬼薗山とは,現在の奈良ホテルの敷地になっている丘陵のことである」(p.55) という記述が出てくる.その後,経覚は鬼薗山に城を築き,そこに移住する.しかし,筒井方に攻められて,経覚は自ら火をつけて逃げる.その後も,鬼薗山はやはり戦場として登場したと思う. 興福寺においては大乗院と一条院が門跡であり,「両門跡」と称した.その両門跡の支配を巡って摂関家が分裂し,近衛家が一乗院,九条家が大乗院という棲み分けが成立した後,近衛家から鷹司家が分立,また九条家から一条家と二条家が分立という経緯があったという.経覚は九条家出身で大乗院門主となる.その後,経覚が失脚した後に,一条家の尋尊が大乗院に入り門主となる.しかし,経覚もしぶとくて四度も復活する.奈良ホテルに隣接して大乗院庭園があってそこに入ってみたが,そのときは大乗院というのも名前としてしか認識していなかった. 応仁の乱が始まったのは1467年で1477年に一応終わる.本書はその前後もカバーしているが,時代は基本的に15世紀後半である.この間うち,続けて読んだキリシタンの時代は,ちょうどその1世紀後のことになる.その時代の史実の多くは,宣教師たちが残した克明な記録に負っている.その1世紀前のこの時代について,二人の僧が残した詳細な記録がこれだけ役立つことは,面白いことである. 小川剛生「兼好法師 徒然草に記されなかった真実」(中公新書) 「徒然草」は,高1か高2のときに読んだ.家にあった戦前に出版された古典文学全集のような双書の一冊で,現代語訳ではなく原文だったが,注は付いていた.それで全段を読んだと思う. この本は「応仁の乱」に続き中公新書から出た中世を扱った歴史書だが,時代は応仁の乱より1世紀ほど前になる.本書が出たのは2017年11月だから「応仁の乱」の1年後である.「応仁の乱」が当たったので柳の下のドジョウを狙った企画という訳ではないと思うが,出版側としては励みになったのは確かだろう. 帯に「今から五百年前,「吉田兼好」は捏造された」とある.そして,第一章の冒頭で兼好を含む吉田家(卜部氏の中で吉田神社の神主を兼ねた流)の系図が示され,それに基づき兼好はまず後二条天皇の六位蔵人になり,任期6年が満ちて辞退,その労をもって従五位下に叙され,左兵衛佐に任じた,というのが定説になっている,ということが紹介される.それで帯にある「捏造」というのは,この定説が誤っておりこの履歴は偽造されたものであるということらしいのだが,その後,最後の第七章になるまで,その話は一切出てこない.それであの帯の文句は読者を惹きつけるための方便かと思い始めた頃になって,最後の章を読むと,15世紀にいた吉田家の吉田兼倶という人物が,官位の昇進と家格の上昇を狙って家系図を偽造し,当時知名度が増していた兼好を取り込み,その履歴も六位蔵人から従五位下にと詐称したという自説が示される. それまでの第2章から第6章までは,この説を提示するための準備という訳でもない.もちろん兼好の事績を語るのだが,それぞれが独立性の強い話である.たとえば,第2章では金沢文庫の称名寺に残された仏典の書写の裏にある手紙の中で,兼好に関するものについての話が語られる.昔は紙が貴重だったから,手紙の裏が利用されたのだが,歴史家にとってはもとの手紙の方が貴重な史料である.その中に,金沢流の北条氏の第三代当主金沢貞顕が称名寺の長老釼阿に宛てた書状が数多くあり,その中に兼好の名が出てくるものがあるという.また,兼好の母らしき人が兼好の姉らしき人に宛てた亡夫の供養の段取りを頼む書状もあるという.この貞顕は六波羅探題として京都に長くおり,兼好はその家来として仕えたらしい.兼好自身も金沢にある時期住んでいたようである. 第3章では,兼好が京都に住んでいた時の土地売買の証書が材料である.兼好が所持していた土地を売った時の記録で,兼好研究にはよく知られた貴重な史料らしい.第4章では内裏に出入りする兼好のことが語られる.第5章では,太平記に出てくる高師直が艶書を兼好に代筆させたという話が題材である.これはすでに虚構であるというのが定説とされている.一方,太政大臣洞院公賢の日記には,兼好が師直の使者として師直が着るべき装束を尋ねに来たという記述が出てくるそうだ.第6章では歌人としての兼好が語られ,その家集が題材となっている. こうしてみると,徒然草そのものは全体がよく残っているが,その他の兼好に関する史料は意外に少ないらしいことが分かる. Yuval Noah Harari, "Sapiens: A Brief History of Humankind" (Kindle版) 同じ著者のHomo Deusを周囲で話題にする人が多いので,前に買ってあったこちらをまず読んだ.長いが,7万年のホモ・サピエンスの歴史を400ページぐらいで書いてしまうのだから,確かにbrief historyである.しかし,読み応えは十分にあった.久しぶりに読書の醍醐味を味わった気がする.Steven Pinker, "The Better Angels of Our Nature"以来の大作の読書になるが,内容的にもこのPinkerの本と重なるところがある.とくに第18章の"A Permanent Revolution"の中の"Peace in Our Time"という節以降は,ほぼ全面的にPinkerの主張するところと重なる.それ以外にもJared DiamondやThomas Pikettyなどこれまで読んだものと重なる部分はいろいろあるが,Harariの知識は該博で,それらの歴史,人類学,進化生物学,情報科学,経済学などの成果が縦横無尽に活用されている. この人はイスラエルに住むユダヤ人で,この本は最初ヘブライ語で書かれ2011年に出版され,英語版が2014年に出て大ベストセラーとなったという.翻訳者の名前は出ていないから,自分で英語にしたのだろう.オックスフォード出身で英語には問題がないらしい.実際,この本の英語はきわめて読みやすいが,ところどころ気の利いた語や言い回しが出てくるのは,こちらの語彙不足を示すものである. サピエンス全体の歴史ということで,通常の歴史学の対象をはるかに超えているが,さすがに原人にまでは遡らない.しかし,時代が重なるネアンデルタールについては,かなり記述がある.ホモサピエンスがネアンデルタールを絶滅に追いやったのか,それとも交配で吸収したのか.前者の説が支配的だったが,DNAの分析により現代人にも一部ネアンデルタールのDNAが混じっているそうで,後者も部分的には正しいらしい.とにかく,ネアンデルタールとの折衝も含めた,ホモサピエンス7万年の歴史が対象である. ネアンデルタールに克った理由としてHarariが挙げるのは,架空の存在を創りだす認知能力である.このお蔭で創り出した話やシンボルを共有して連携をとることができるようになり,狩りやネアンデルタールなどの他の種との争いにも有利となったとする.この認知革命が最初の革命だとすると,次の革命は農業革命である.農業は個々人を幸せにするよりその生活を苦くしたとはよく言われることだが,集団としての人類には食料の備蓄や組織力という点で大きな武器を与えた.並行して文字が発明され,記録が行われることにより,国家規模の組織化が可能となった.この辺りはJared Diamondなどと特別異なる認識ではない. その後,世界は統合の方向に進む.分断されていた文明が,帝国やそれに類した勢力に統合されていく.統合を促すのは3つの力,すなわち経済=金,政治=帝国,そして宗教である.そこで金,帝国,宗教について,それぞれかなりのページを使っていろいろな話が展開されるが,どれも面白い.とくに宗教については,採集狩猟の時代のアニミズム,その後の多神教,続いて一神教とマニ教などの二神教,との歴史が記述される.これらは宗教の歴史として広く研究されてきたものだろうが,とくに二神教については教えられることが多い.一神教の問題は,唯一神が全能全智なら,なぜこの世に悪があるかということをうまく説明できないことである.善悪の二神が相克する世界は,その点をうまく説明できる.しかし,結局二神教は一神教に負けて現代ではほとんど勢力がない. 自身がユダヤ人のHarariはユダヤ教について,ユダヤという小さな1つの民族に限られた宗教で,世界宗教になりえなかったと簡単に切って捨てる(p.217).ユダヤ教の扱いが小さい理由は,本書がもともとヘブライ語で書かれたという経緯やイスラエルにおける歴史教育が偏ったものであるという指摘ともに,すでに前の章で説明されている(p.186).著者自身が代わりにかなりの思い入れがあるのは,仏教である.HarariはVipassanāという仏教系の瞑想を実践しているという(そのことは本書ではなく,Home Deusの方の謝辞に述べられている).本書は歴史を語ってきた後,やや意外なことに幸福論を展開する(第19章).そこで瞑想について高い意義づけを与えている. もう一つユニークに感じるのは,動物虐待に対する憤りである.Pinkerの"Better Angels"でも動物の権利保護と動物虐待の防止運動についてかなり多くのページが割かれていて,そういうものかと思った.Harariは牛や豚がどのような酷い目に会わされているか,強く訴える.子牛が生まれてすぐ母牛から離され,文字通り身動きもままならない囲いに閉じ込められて太らされ,平均4ヶ月で殺されていくことが,写真付きで説明されるのを読むと,さすがに人間の勝手さを思わざるをえない(p.95).現在,世界には10億頭の羊,10億頭の豚,10億頭以上の牛,そして250億頭の鶏がいるそうだ.もし,種の成功の尺度をその繁殖数で測るなら,これらは大成功の種と言える.しかし,それらの種の個体にとっての一生は,まことに悲惨だとHarariは言う.Harariは完全な菜食主義者なので,その主張と行動は整合している.この動物に対する見方は,人間至上主義が行き過ぎ,他の動物に対して神の地位を得ているとの主張と繋がるものである. 最終章は"The End of Homo Sapiens"と題し,生命工学,AI,シンギュラリティ,フランケンシュタインのような人造人間などの話が展開され,まさにHome Deusにつながる議論で終わる. Henry James, "Daisy Miller," (Greatest Short Works of Henry James, Barnes & Noble Books, New York) この間,NHK/BSで放送されたのを録画しておいた映画の"Daisy Miller"を見た.監督はピーター・ボグダノヴィッチで1974年の作品だが,当時の日本では封切られなかったらしい.IMDBの評を見ると,多くが主演女優のCybill Shepherdのことを書いていて,7-8割がたがけなしているが,しかし,中にはまさにDaisy Millerにぴったりという評もある.この女優は若くて美しく,魅力に溢れていてDaisy Millerらしさを感じさせる.ただ,監督による演出なのか,本人の意図なのか,セリフを異常に早くしゃべる点に不自然さを感じる.このことを言っている評も多い.また,ボグダノヴィッチは「ペーパー・ムーン」などを撮った有名監督だが,成功を支えた前の奥さんを捨ててCybill Shepherdと結婚したという経歴があるそうで,そのためにもこの女優がけなされるのかもしれない. 若い頃,中村真一郎をわりとよく読んだが,中村の書くものの中に,ヘンリー・ジェイムズがよく出てきた.それでヘンリー・ジェイムズを近しく感じていた.また,その兄のウィリアム・ジェイムズの「心理学」も岩波文庫版を高校生の頃買っているが,ちゃんと読んではいない.しかし,ヘンリー・ジェイムズをこれまで読んだかというと,記憶にない.本棚を探して見ると講談社版世界文学全集の1冊の「鳩の翼」(青木次生訳)があるが,1ページも読んでいない.これは1974年に発刊されているから,これを買ったのは多分その年に読んだ中村真一郎「この百年の小説」の影響だろう. もう1冊見つかったのが,このDaisy Millerの入ったGreatest Short Worksである.これはThe Book of the Monthで買ったに違いないが,やはりまったく読んでいなかった.Washington SquareとかThe Turn of the Screwとかの有名短編が入っていて,1992年に出版されたものである.AmazonのKindle Shopを探したら,Henry James: The Complete Novelsというのが値段0円で出ていたので,それをダウンロードした.これで短編,長編の主なものは手に入ったことになろう.しかし,面白いことにKindle版のDaisy MillerやThe Turn of the Screwなどは,単独で400円以上の値が付いている. Henry Jamesは1843年生まれで1916年没だから,鴎外や漱石より20年以上年上である.同じ1843年生まれの日本人をネットで探してみたら,新島襄が出てきた.このDaisy Millerという作品は,1878年に出ている.坪内逍遥の「小説神髄」(1885)すらまだ出ていないときである. しかし,140年前の小説でも,その英語はそんなに難しくない.最初にDaisy Millerが登場するときの形容が,"a beaitiful young lady"とやけに平凡である.その後も,"this pretty American girl"などと変哲もない.表現に凝るのは心理描写であって,人の容貌や表情,服装や装飾品や風景などについてではないようだ. 読んでみて,映画は原作のかなり忠実な再現であることが分かった.話の展開も会話も,ほとんど変形されていない.Henry James原作の映画化は結構数があるらしいが,映画の歴史に残るような名作はあまりないらしい. 上田岳弘「ニムロッド」(芥川賞) 2017年春の芥川賞作品の山下澄人「しんせかい」にあきれて,芥川賞が出る文芸春秋を買って読むという習慣をやめて2年経つ.今回久しぶりに芥川賞の載った文芸春秋を買ったのも,他に載っている記事に面白そうなものが多かったからである.「勤労統計不正 厚労省「ブラック官庁」の研究」「ゴーン絶体絶命」「トランプVS.習近平「悪」はどっちだ」「AI「無脳論」 養老孟司」「レーダー照射事件全真相「韓国軍艦と北朝鮮」緊迫の13分間」「二・二六事件「新資料発見」84年目の真実」など.全部読んだわけではないが,いずれもタイトルほど大したことはない.やはり芥川賞作品を読むことになる.今回は2作が入賞で,その1つ目. 最初に主人公の名前が,メールのやりとりに際してNakamotoと出てきたところで,おやおやと思った.果たしてビットコインの話になるのだが,この語り手=主人公の名前が偶然ナカモト・サトシであることや,それとビットコインの関係は,だいぶ先にいって明かされる. 「ニムロッドは僕を見つめたまま,口の端を左右に引いて笑みを浮かべる.そして, 「君がサトシ・ナカモトだからさ」といわくありげに言った. 僕と同姓同名のサトシ・ナカモト.ビットコインの創設者,謎の日本人であるとされる彼の正体を誰も知らない.」 というのだが,この名前が偶然一致したというような設定は,余計なことだと思う. その友達が仁室で,あだ名がニムロッドというのも作為的な命名である.ニムロッドは創世記に出てくるが,日本語訳では文語訳,口語訳でも「ニムロド」と表記される.「ニムロッド」という発音は英語読みの影響だろう.というより,ビットコインと並ぶもう一つの題材が駄目な飛行機のコレクションなのだが,その一つにニムロッドがあり,これはイギリスの空軍機ということなので英語読みになるのだろう.ただ,バベルの塔のイメージも重要な位置づけを与えられているので,バベルの統治者だったニムロドが題名の由来らしい.この伝で行くと,もう一人の登場人物である田久保紀子という名前も何かのいわくがあるのかもしれないが,それが何かは分からなかった. この間,ソフトウェア技術者協会のフォーラムで,「ブロックチェーンは社会基盤となるか —現場の第一線で活躍するエンジニアを交えて—」と題してNTTデータの赤羽さんという人が話をするというので出てみた.そこで質問の際に,今度の芥川賞を取った「ニムロッド」を読んだ人がいるか聞いてみたが,誰もいなかった.そこで,その主人公がサトシ・ナカモトという名前で,IT企業でサーバーのメンテナンスが仕事だが,社長から言われて空いているサーバーを使ってビットコインの発掘をやっている,というストーリーを皆に教えた.ビットコインだけでなく,IT企業でのサーバーのメンテナンスという働きぶりだけからも,初めのうちは興味深く読んだ.ただ,途中でやや飽きて,文芸春秋版で76ページという長さを長く感じた.しかし,芥川賞作品としては平均的な長さかもしれない.もう一つの芥川賞の「1R1分34秒」も77ページで,申し合わせたようにほぼ同じ長さである. 増本康平「老いと記憶 加齢で得るもの,失うもの」(中公新書) また中公新書だが,今度はちょっと身につまされる題名から買ってみたものだ.しかし,驚くのはこの著者は1977年生まれで40歳そこそこであることだ.まだ自分の問題とは感じていないだろう.神戸大学の准教授で,認知心理学,とくに記憶が専門という.「はじめに」に次のような一節がある. 「私は三十五歳の時からシニアカレッジで毎年,「記憶機能の加齢」について高齢者を対象とした講義をしています.その講義をお世話していただいている方に「若い先生が高齢者の記憶について話している姿が新鮮で面白い」と笑われたことがありました.確かに記憶の問題をまさに体験している高齢者に対し,その二分の一ほどしか生きていない私が高齢期の記憶について講義をするわけですから,釈迦に説法の感はあります.」 記憶にはいろいろな種類があることを述べた第1章では,「記憶力の低下では日常の物忘れは説明できない」というのが重要なメッセージである.著者による実験では,大学生と高齢者とを日常生活場面での課題を与えて忘れるかどうかを比較すると,高齢者の方がむしろし忘れの率が低かったという.また,記憶の種類で言えば,ワーキングメモリやエピソード記憶は年齢と共に低下するが,意味記憶(言語的知識)は加齢で低下せず,むしろ上昇するという. 2章でもっともだと思うのは,「携帯電話は有効な記憶補助ツール」ということである.スマホをそれほど使いこなしてはいないが,インターネットの検索で助けられることは日常きわめて多い.3章では,世上でもてはやされる脳トレは,有効かどうか怪しいというのが著者の意見である.第4章では認知症予防が取り上げられる.適度な運動がよいとか,人とのつながりが大切,といった常識的なことしか書かれていない.第5章は高齢期における幸福論である.もっともというところも多少あるが,最初に書いたように40そこそこの人に言われたくない,という気も起きる. 「応仁の乱」や「兼好法師」と比べて,ページ数も200ぐらいで短く,その上,1ページの文字量が圧倒的に少なくて,量的に薄い本である.そのぶん,活字が大きくなっているのは,高齢者向けを意図したのか,結果的にそうなったのか. Yuval Noah Harari, "Homo Deus: A Brief History of Tomorrow" (Kindle版) Homo Sapiensは紙の本に換算すると400ページだったが,これは500ページある.ただ,その長さを感じさせず,実に刺激的な読書体験を与える.周囲のいろいろな人がこの本のことについて語っていたのが,宜なるかなという気がする. 最初の7章は,Homo Sapiensの最後の方の繰り返しである.人類は飢え,病気,戦争という災難を,21世紀が始まるまでに大きく減らすことに成功した.これは人間主義=ヒューマニズムの力である.その人間主義がさらに向かうところは,ヒトを神にすることである.しかし,そのようなヒューマニズムは,大きな問題を新たに生み出す.このような話だが,しかし同じことを語るにも,新しい材料をつぎ込み,語り口も工夫して飽きさせない.その能力だけでも驚嘆すべきものがある. たまたま買った文芸春秋3月号に,佐藤優が本書の書評を書いている.そこに,次のような部分がある.まず,ハラリが3つの重要な問いを提起していることを紹介する. 1.生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして,生命は本当にデータ処理にすぎないのか? 2.知能と意識のどちらのほうが価値があるのか? 3.意識は持たないものの高度な知能を供えたアルゴリズムが,私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき,社会や政治や日常生活はどうなるのか? その後を引用すると 「最後の三つの問に対して,評者はこう答える. 1.生物をアルゴリズムに還元することはできない.生命にはデータ処理だけでは解析できない残余の部分がある. 2.知能と意識では,意識の方が価値が高い. 3.意識は持たないものの高度な記憶力とデータ処理能力を備えたアルゴリズムが生まれたとしても,私たちが自分自身を知るよりもよく知ることができるのは部分にとどまる.アルゴリズムが,特定の人のすべてをとらえることはできない. ハラリ氏の答えも,評者と近い内容と思う.その背景には,超越者に対する信仰がある.ハラリ氏が主観的に神を信じているか否かについて,評者は情報を持ち合わせていない.ただし,「ホモ・デウス」で展開されている論理の背後には,歴史は特定の目的に向かって進み,それは人間の外部にある目には見えないが確実に存在する力によるものであるというユダヤ教とキリスト教に通底する神理解がある.キリスト教徒であり,しかも基礎教育がプロテスタント神学である評者には,ハラリ氏の思考が手に取るようにわかる.」 しかし,これほど作者の意図からかけ離れた理解も,珍しいのではないだろうか.佐藤がキリスト教徒だからこうとでも言わないと自分の中で消化できないのかもしれない.また,Harariがユダヤ人だから唯一神を尊重するものとの思い込みがあるのかも知れない.とくにキリスト教から見ると,ユダヤ教は生みの親になることからある種の敬意を払わずにはいられないという複雑心理があるのかもしれない.しかし,Harariの無神論の立場はかなり徹底している.そもそも前作のSapiensから一貫して,ホモサピエンスの成功の第一要因は現実にはない話を作ってそれを共有するところにあるとし,その典型例が宗教なのである, キリスト教徒やイスラム教徒にとっては冒涜的に聞こえるのではないかと思うが,Harariは宗教の例として,キリスト教,イスラム教,ユダヤ教,ヒンズー教以外に,仏教,儒教,共産主義,ナチズム,リベラリズム,を挙げているのである(p.211).神や宗教は人間が社会を動かしていく上で必要に応じて作ったものだという立場が,気持ちよいくらい徹底されている. また歴史学者としてのHarariにとって,「歴史は特定の目的に向かって進み,それは人間の外部にある目には見えないが確実に存在する力によるものである」という佐藤の見方は,およそ対極にあるもの思われる.そういう佐藤に「ハラリ氏の思考が手に取るようにわかる」と言われるのは不本意に違いない.とくに第1章の"The New Human Agenda"で,歴史に学ぶ意味は,何か歴史の法則を見つけて,状況に応じそれを適用し未来を予測することではない,と強調している.歴史を振り返ると,いろいろな可能性があった.現在の状況は多分に偶然に左右されているから,ここに至るまでにたくさんの異なる道筋がありえた.そのような多様な可能性を考えることが歴史を学ぶ意味だとしている. 最後の3つの問に対する佐藤優の答えは,常識的である.しかし,これでこの本が挙げている問題提起に答えたつもりになってしまうのは,あさはかだろう.とくに第3の問に対し,そういうことはないと言うだけでは,Harariが言うdataism, data religionの持つ意味の重大さを理解していないことになるだろう. しかし,ぼくにはこのHarariの問題提起に,別の意味でよく分からないところがある.それは意識を持った知性と意識を持たない知性という区分である.Harariは知性はアルゴリズムだという.そして感情も進化の要請から生まれたアルゴリズムだという(p.96).それでは意識はアルゴリズムではないのだろうか.意識についてはいろいろ書いているが,現代の科学でももっとも手に負えないものだとしている.しかし,自分の感情というものがあるから,それを貫く自己の意識ができるのではないだろうか.一方,自由意志というものは,進化論的も,認知科学的も,脳科学的にも存在しないと言う.それは一応説得力があるのだが,しかし意識と意志は紙一重とも言えるので,どこに線を引くかという問題ではないだろうか.とにかく意識とは何かの解明が進まないことには,意識を持った知性と意識を持たない知性との違いという議論はあいまいに思える. いずれにせよ,ホモデウスとしてHarariが描く未来の中心は,遺伝子工学とナノ電子工学が結びついた人間の改造とAIのネットワークである.その点は,言及されているKurzweilのSingularityのイメージと近い.それがデータ至上主義の世界である.ただ,その結果として人類は超エリートの層と無用階級(useless class)に二分されると言うところが,楽観的なKurzweilと違う. 本書の後,Harariは"21 Lessons for the 21 Century"という本を出していて,それもKindle版を買っているが,そこで何を言っているのか.後のお楽しみとしよう.なお,Wikipediaによると,Harariの「夫」はItzik Yahavで,彼の活動のマネージャーでもあるという.確かにこの本の謝辞に,Itzikは私の伴侶(spouse)かつマネージャーであり,私のInternet-of-All-Thingsの役割を果たしているとある.Internet-of-All-Thingsとは本書にたびたび出てくる概念で,Internet-of-Thingsをもじって,自分のことを自分以上にすべて知る存在である. 「町屋良平「1R(いちらうんど)1分34秒」(芥川賞) ボクシングの話である.ボクシングを題材にするものは,「傷だらけの栄光」とか「ロッキー」とか「ミリオンダラー・ベイビー」とか映画に好いものが多くあるし,漫画はもちろん「あしたのジョー」などたくさんある.しかし,文学ではどうか.直木賞向きの作品はいろいろあるかもしれないが,すぐには思い浮かばない.さらに芥川賞向きは珍しくはないか.すぐ連想されるのは石原慎太郎の「太陽の季節」ぐらいだ. 書きようによっては,根性スポーツものや挫折の後の栄光みたいな物語になってもおかしくない.実際,場面としてはそのような展開を予期させるようなところがある.しかし,巧みに,というべきかそのような方向に落ち込まない.まず,試合前に相手の選手のビデオやSNS情報などを集めて,空想の上で親友になる,というところが面白い.iPhoneで映画を撮っている「友達」とか,トレーナーとそれに交代した新しいトレーナー「ウメキチ」とか,ボクシングの体験希望に来てすぐにセックスフレンドとなる女の子とか,バイト先のボクシング好きの店長とか,周りに出てくる人間はみなこの主人公の「ぼく」に優しくて,また「ぼく」のよい面を評価している.それに対して「ぼく」の心理は屈折していて,周りからの好意を素直には受け取れない.たとえば,ウメキチが弁当を作って持ってきてくれるが,初めのうちはそれを公園のゴミ箱に捨ててしまう.人に対する屈折した気持ちを直接相手に言うわけではなく,むしろこの小説はそのような自分の気持ちの独白で成り立っている. 文体が工夫されている.ボクシングのリズムが意識されているのだろう.たとえば,青志くんとの試合の描写. 「アッパーもあるのかよ.と認識したときはもう遅い.ぼくが愚直に右フックを振った,読まれていた,わき腹に左のフックを食い,空いた隙間に入った右アッパーが,青志くんのこの日一番のパンチだった.軸を最大限まで細くとり,きわめて鋭角な斜め縦軸を回るアッパーがまっすぐ顎をもちあげて,ぼくの後頭部がロープを打った.マウスピースがこぼれて,それを追いかけるように右膝,つぎにマットについたのが右の頬だったのだから,レフェリーはカウントフォーで動かないぼくにストップを告げた.」 原文は縦書きで,句読点は点と丸だが,その句読点の打ち方にも工夫がある. 三浦篤「エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命」 (角川選書) 中学高校時代の栄光学園の図画の教師に,小笠原という先生がいた.というか今もそうだろうが,図画の教師は学校全体に一人だけで,中学の全学年と高1の選択授業を受け持たれていた.ぼくは高1の選択も取ったので,4年間お世話になったことになる.この先生はかなり型破りの人で,授業中にときどき脱線してお話が始まるとそれが長くなる.その話が実に面白かったが,今ではその内容はみな忘れてしまった.しかし,覚えているのは小笠原先生がマネを好きだったことで,授業でも画集を見せてくれたりしたが,高1の時だったか授業の一環ではなく自由参加だったと思うが,ブリヂストン美術館にみんなを連れて行ってくれたことがある.今,調べてみると,ブリヂストン美術館に収められているマネ作品は「自画像」1点だが,とにかくマネや印象派の本物の作品に触れる機会を作ってくれた.高3の卒業式の時にぼくは答辞を述べたが,小笠原先生がその内容をとても褒めてくれたのが,他の先生以上に嬉しかったのを覚えている.多分他の先生はとくに褒めたりしてくれなかったかもしれないが. 三浦篤の本はこれまで「まなざしのレッスン」を読んだことがある.駒場の教師だが会ったことはない.Wikipediaによると,1993年東京大学教養学部助教授,2006年同総合文化研究科教授とあるから,1994年に赴任したぼくと時期はほぼ重なるのに.高階秀爾の弟子だということが,このマネの本を読んで分かった. 「はじめに」にあるように,この本はマネという画家の評伝や作品論というよりは,その絵画の歴史的意味や後世の画家に与えた影響という面に力点を置いている.3部構成で,第1部は「過去からマネへ」と題し,ティツィアーノなどのイタリア絵画,ベラスケスやゴヤなどのスペイン絵画,ルーベンスやハルスなどのフランドル・オランダ絵画からの影響を述べる.単なる影響ではなく,引用・借用という形でマネの作品に現れるという.第2部は「マネと現在」で,オスマンの改造計画が進行中のパリにおいて,マネが家やアトリエをどのような場所に置き,また移動させていったかが跡づけられる.また,音楽会,気球,鉄道,万国博覧会,カフェ,競馬場,などの近代都市のさまざまな場面がどう作品に取り上げられているかが観察される.そして第3部が「マネから未来へ」で,ある意味で本書のもっともユニークな視点が示される.取り上げられるのはまずドガとモネ,それからセザンヌとゴーガン,そしてピカソ,さらに現代アートとして,デュシャン,ウォーホール,森村泰昌や現代写真との関連が論じられる. 多少意外に感じたのは,マネの絵としては割と有名な「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」は作品として取り上げられていないだけでなく,弟と結婚した印象派の画家でもあるベルト・モリゾのことはほとんど触れられていないことである.もう一つ,ジャポニズムについては,第11章「20世紀美術」でボナールに関連して初めて言葉として出てくることである.もちろん作品「エミール・ゾラの肖像」で画中画として相撲取り「大鳴門灘右ヱ門」の浮世絵が描かれていることを述べたところで,日本美術の影響に触れられてはいるが,きわめて僅かである. しかし,全体としてもともとマネについての知識は乏しかったので,勉強になった.ロンドンのコートールドで『フォリー・ベルジェールのバー』は見たことがあるが,他の絵はほとんど複製でしか見たことがない.機会があればまたオルセーなどにも行ってみたいものだ. ドナルド・キーン,角地幸男 訳「正岡子規」(新潮社) 今年の2月24日にドナルド・キーンが亡くなった.享年96歳だから,天寿を全うしたと言えよう. ぼくはキーンの書くものが好きで,この読書ノートに付けたものだけで数えても,10冊ほどになる.しかし,もちろんまだ読んでいないものも多いので,亡くなったのを機会にアマゾンで検索したら,とりあえず手に入りやすいものとしてこれが出てきたので購入した.2016年にキーンの「石川啄木」を読んでいるが,あれは同じ年に出た本なので,出版されてすぐに読んだようだ.「正岡子規」の方は2012年に出ていて,「石川啄木」よりむしろ先に出たものだ. しかし,確かに両者に共通点はある.どちらも明治の人で,日本に古くからある詩歌の形式に革命をもたらした.ともに短命で,子規は35歳,啄木は26歳で死んだ.子規の方が20歳ほど年上で,だから活躍した時期には10年ぐらいの開きがある. 「石川啄木」を引っ張り出して,子規に言及しているところを見ると,意外なことが書いてある. 「小樽を発つ直前,啄木は「ホトトギス」の最新号を読んだ.啄木はその内容について印象を何も書いていないし,「ホトトギス」の指導的立場にあった正岡子規の名前,ないしは短歌にも日記で触れていない.これは,意外である.俳句と短歌を近代世界に取り込むことで新たな詩形式として救った詩人子規は,啄木にとって大いに関心を持って然るべき存在だった.啄木は子規の革命的な改革をこれ以上考慮する必要がないほど完成した勝利と考えていたかもしれない.」(p.129) なお,どちらの本も,この手のものには珍しく網羅的な索引が付いているので,このような検索も簡単にできる.ついでに索引を利用して気になったことを挙げておくと,中村不折についてである.索引によれば不折は11カ所に出てくるので,かなり重要人物である.不折は新聞「新日本」に載る子規の記事に挿絵を描いた.その不折について,キーンは 「中村不折は,今日ではほとんど忘れられている.」(p.116) と書いている.忘れられているというのは間違いないかもしれないが,Wikipediaを見るとまず「夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られている」と書いてある.キーンはもちろんそのことを知っているに違いないが,なぜか11カ所にも登場する不折に関して,この事実が書かれていない. 子規の「墨汁一滴」と「病狀六尺」の岩波文庫版は,親父が持っていたのを拾い読みしたことはあるが,ごく一部でしかない.親父は若い時から晩年に至るまで俳句をやっていた.若い時の俳句の師は水原秋櫻子で,秋櫻子は高浜虚子の弟子らしいから,親父にとっての子規は,かなり重要な存在だったろう.しかし,ぼくは拾い読みした「墨汁一滴」と「病狀六尺」以外に子規のものはほとんど読んだことがない.俳句や短歌も教科書に載っているようなものしか知らない.それでも子規を身近に感じるのは,子供のときに読んだ「夏目漱石」の伝記の影響が大きいかもしれない.その伝記はまだ家にある.子供時代の本で捨てなかったものを美季子に渡したので,美季子の部屋の本棚にまだいろいろ残っている.多分,美季子はほとんど読んでいないだろうが. その本は講談社版「世界伝記全集」の1冊で,作者は福田清人である.昭和32年に出ているから,ぼくが小学校4年の時に読んだはずだ.小学生向きとはいえ300ページ近いかなり本格的な評伝で,この中で「虞美人草」の次の一節が美文の例としてそのまま引かれている. 「春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫ぬいて、煙る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路みちを、おおかたは二里余りも来たら、山は自ずから左右に逼って、脚下に奔はしる潺湲の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更ふけたるを、山を極きわめたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾すそを縫ぬうて、暗き陰に走る一条ひとすじの路に、爪上つまあがりなる向うから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿の尽きざるほどに、長くかつ静かである。」 これには感激した.この本は,ほとんどすべての漢字にルビが振られているから意味がわからないところがあっても読めるし,文体のリズム感は小学4年生でも味わえる.このころの本は,大人向けの文庫本などでもルビが振ってあったが,あれはよいことだと思う.それはともかく,この本の中に「心の友正岡子規」という章があり,漱石と子規は寄席で会って以来きわめて親しくなったというところから,その後,松山の中学教師の時代に一時期漱石の下宿に子規が一緒に住んだこと,そしてロンドンにいるときに,子規の死を知らせる虚子からの手紙が届くところなど,子規に関する記述がかなり多くあったのが,印象に残った.それで,子供の時から正岡子規の書いたものを読んでいなくても,その存在が身近に感じられるのだろう. ただ,多くの日本人にも,子規の存在は大きいはずだ.今でも新聞に俳句欄,短歌欄があって多くの投稿があるし,町や会社に俳句塾や句会がある.NHKテレビでも俳句と短歌の番組がそれぞれあるのは,いずれも子規の功績だろう. 死ぬ前の5年間寝たきりで,カリエスの痛みが片時も去らず,モルヒネもあまり効かない状況で,詩歌と散文との制作活動をずっと持続させ,弟子たちを指導してきた精神力には,改めて驚嘆せざるをえない.死の3日前まで「病狀六尺」の連載を新聞「日本」に書き続け,死の前日に辞世の句となる3句を作ったのである. 「石川啄木」と同じように,キーンは本書を英語で書き,それを角地が日本語にしている.その際,子規の文章の引用をまず原文で載せ,ほとんどが文語なのでいちいちそれを口語にして後につけている.文語と言っても明治時代のものだから,口語訳とはあまり大きな差異がないので,ページのムダ遣いに感じたが,現代の若い読者向けには必要な親切心なのかもしれない.文語でなくても,たとえば漱石の「坊ちゃん」ですら現代語訳が出ている時代だ.ぼくの時代は旧かな旧漢字だったが. Yuval Noah Harari, "21 Lessons for the 21st Century" (Kindle版) Harariの3冊目の著書である.2018年8月に出版されており,TrumpやBrexit後であるところが,読む側から言ってまず関心を呼ぶところである.とくに本書は1冊目のHomo Sapiensが過去の歴史,2冊目のHomo Deusが未来の歴史であるのに対して,現在から近未来の問題を扱うという位置づけであるからなおさらである. 20世紀には,リベラリズムがファシズムや共産主義に勝利した.しかし,21世紀になって,リベラリズムに対する幻滅感が生じている.その結果がTrumpやBrexitやポピュリズムの台頭である.Harariはその原因の一つが,情報工学(infotech)と生命工学(biotech)が結びついた技術革命にあると言う.このような技術は政治家にも有権者にも理解ができない.理解ができないところで金融システムでは,たとえばブロックチェーンにより,税制の根本的な変更を余儀なくされている.しかし,infotech+biotech革命は,経済や社会を変えるだけでなく人間の心と体を変えるという大きな変革をもたらす.しかも,この変革は科学者,技術者によって起こされていて,政治家は無力である.トランプの選挙キャンペーンではメキシコ国境を越えてくる難民が仕事を奪うことが強調されても,アルゴリズムが仕事を奪うということはまったく言わない. リベラリズムは大きな成功を収めたが,環境破壊と技術崩壊という大きな問題に明確な解答を与えていない.そのリベラリズムへの不信感の間隙を突いて,過去のナショナリズムや宗教基盤の政治勢力が息を吹き返そうとしている.本書のかなりの部分は,そのような懐古的発想への批判に充てられている.その舌鋒は,これまで以上に鋭い.とくに母国イスラエル,あるいはシオニズムに対して容赦ない批判を浴びせる.本書のもう一つの特徴は,Harari自身の個人的な生い立ちやこのような発想を得るに至った経緯が述べられていることである.Harariはポーランド系のユダヤ人だが,自身はイスラエルで生まれ育っている.彼の祖母が1934年にその両親と二人の姉妹と共に,ポーランドからエルサレムに移住したという.つまり,Harariは20世紀後半のイスラエルで教育を受けており,10代の初めまではシオニズムの強い感化の下にあった.しかし,13歳の時の独立記念日に,そこで暗唱される愛国詩に祖国に身を捧げた兵士は墓にあっても永遠に称えられるとあるのに対し,「待てよ,墓に入ったら,そのような称賛の声は聞こえないのではないか」と思ったと言う.ユダヤ民族の歴史はせいぜい3000年.地球の45億年や宇宙の138億年の歴史と比べたら,とても「永遠」とは言えないと思ったそうだ.こう言ったからといってたまたまパレスチナ人の読者がいたら喜ぶのは早い,と釘を刺している.同じことがパレスチナ人にもどの民族にも言えるからである. しかし,ここまで言ったらイスラエルの国内で刺されたりしないだろうかと,こっちが心配になるほど,イスラエルのナショナリズムに批判の矢を浴びせる.同じようにお話としての宗教も,鋭く批判される. 一方で,歯切れが悪いと感じるところもある.それは移民の問題である.第9章でとくにヨーロッパへの移民の流入の問題が取り上げられる.Harariは国単位のナショナリズムに対してEUの体制を評価していると思われるが,この移民の問題がEUを崩壊に導くかもしれないと言う.しかし,皮肉なことにヨーロッパが豊かな多文化システムを作り上げることに成功したことが,アフリカや中東から多くの移民を引き寄せる原因となった. この問題を考えるには,まず移民が成立するための条件を整理する必要があるが,それは3つあるとする. 1.ホスト国が移民を引き受ける. 2.移民者はホスト国の少なくとも核となる規範と価値を受容する.それが自己の規範や価値をある程度諦めることになっても. 3.移民者が十分な程度に同化したら,いずれはホスト国の平等で完全なメンバーとなる. さらに4番目の条件として,これら3つの条件が満たされているかどうかの判定ができることが必要である. そしてこの4つをさらに詳しく説明し,それぞれを分けて考えることが重要だとする.とてもよい整理ではあるが,それで具体的な問題にどう対処したらよいのか,とくに例示もされないのでちょっと物足りなさを感じる. これまでの Homo Sapiens と Homo Deus のどちらででも,人間の幸福とは何かという問題が議論されたが,本書でも第20章「意味 人生は物語ではない」で幸福論がかなり長く議論される.そして最後の第21章でHarari自身が生きる意味を考えるのに役立つものとして実践している瞑想について,これまでの本よりはるかに詳しく説明される.第20章はとても長く,またそれまでの章における批判的な論考のようには歯切れがよくないので,やや退屈にも感じたが,第21章の個人的な経験に基づくものであることが分かると,それなりの説得力を感じもする. 藤崎さんがNHKのBSで,Harariの Homo Sapiens と Homo Deus を映像番組として製作したものがよくできていると教えてくれた.確かによくまとめられており,NHKが独自に取材したインタビューや映像もあって,面白い.もちろんHarari自身が登場してコメントする.Homo Deusの最後に,NHK側がこれからの人間はどうすべきかと質問したのに対し,「月並みかもしれないが,もっとも大事なのは自分が何者であるかを理解することだ.自分の内なる考えを深く理解することに時間を使うべきだ.」と答える.これにはちょっと驚いた.Homo Deusの第7章の"The Humanist Revolution"では,過去数世紀で世界を席巻した人間主義は,あらゆる問題に対してまず自らの内なる声を聞けと言うことを強調するとする.Harariはそれ自体を直接批判してはいないが,何が真に自分の内なる声なのかを判別することの難しさや,個人の主観と社会にとっての客観的価値との整合性などの問題を上げている.また,かなりユニークな見方だと思うが,そのような人間中心主義の別派として,社会主義的人間主義と進化論的人間主義があるとする.前者の代表は共産主義であり後者の代表はナチズムである.この二つに対し正統的な人間主義はリベラリズム的人間主義で,20世紀はそれが2つの別派に一応勝利したが,21世紀の現在はそのリベラルな人間主義に破綻が生じているという主張の流れからすれば,「自分の内なる考えを理解する」という結論はやや意外に思える.これを見た時にはHarariがNHKに譲歩して,比較的無難な意見を述べたのかと思った. しかし,本書でも「宇宙の真理,人生の意味,自己のアイデンティティを知りたければ,自分自身で観察し,苦しみ,探求するしかない」と言っているが,それは「自分の内なる考えを理解する」ことと同じことを言っているのかもしれない.結局,Harariもヒューマニズム,リベラリズムの限界を意識しながらも,それに代わる枠組みはないと考えているのかと思われる. 亀井哲治郎,ほか編「笹の舟 美酒を求めて四十年」(笹舟会) 5/25に笹舟会の解散パーティーがあり,そこで亀井さんが中心となって編集した本書が,参加者に配られた.費用は笹舟会の残った資金で贖われた.企画から1年で出版にこぎつけた亀井さんたちの労力は並々ならぬものだったろう.ぼくも「笹周と笹舟会の思い出」という一文を寄せている. 本書の中心は,佐藤總夫が評論社から上梓する予定だった「文化の香り 大吟醸」の原稿である.この本の企画は亀井さんが評論社にいたときに出して認められたもので,その時期は1987年秋というからずいぶん前のことになる,だが,佐藤さんのあまりの遅筆で実現しないまま,佐藤さんが2002年3月に亡くなられたために幻の書に終わった.その原稿の一部が亀井さんの手元に残ったので,それを彼が校訂して本書に収めた.しかし,残されている佐藤さんの目次案から見ると,ごく一部にしか過ぎない.それでも求道的な酒の探求者だった佐藤さんの面目躍如という感が,そこかしこでする.目次案はかなり綿密であり,資料も相当集められていたはずだから,酒蔵などに送っていた書簡(その一部が本書に収録されている)から見ると筆まめと思われる佐藤さんにして,これを完成させるのはそれほど困難なことではなかったのではないか,と惜しい気がする. まだ有効な笹舟会のメーリングリストに,この本の編集者への感謝と感想を書いたメールを送ったが,そこに 「ところで「文化の香り 大吟醸」目次案にある第三話「米から酒が生まれるまで」や第四話「吟醸酒造りの先覚者たち」は,この構成案に従って,どなたか有 志が書いてみられたらどうでしょうか.読んでみたいです.」 と書いた.それに対し,亀井さんから 「第四話「吟醸酒造りの先覚者たち」は,佐藤さんの“第一稿”が存在します。かなりの分量です。それぞれの先覚者の代表的な論文もあります。 じつは,わが家に“佐藤原稿”に関する段ボール箱が2個あるのですが,そのどちらかに,もしかしたら第三話の書きかけ(手書き)か第一稿の一部が あるかもしれません。いずれ整理して,探してみます。 今回は,分量の点もあって(これが一番大きな理由です),基本的に“第一稿”は収録しなかったので,その意味ではちょっと「惜しかった」とも言えそうです。 第一話の第10節「誤りのもと,あれこれ」も第一稿があります。これはけっこう面白いですよ。 興味のある方に(ただし,笹舟会の元会員限定で),それらのコピーを差し上げる,ということも考えられます。」 という返事が来た. 佐藤さんの文章に並んで多くの分量が収録されているのが,河野裕昭さんの「杜氏の里紀行」である.これは河野さんが写真集「大吟醸」を1995年に出した後,中野にある「酒仙の会」の会報に27回連載した全国の杜氏を訪ね歩いた紀行文である.これが結構な力作で,1回当たりの分量は多くはないが,河野さんが撮った写真と共に,各地の杜氏組合の記録などが掘り起こされて,ちょっとした歴史書になっている.写真家河野さんだけでなく,歴史家河野さんという横顔を知って,改めて見直した.河野さんが訪ねた杜氏の里には,丹波,越後,出雲,南部などがある.しかし,これらの杜氏が活躍した時代のピークは1970年代で,いずこもその後は杜氏の数,酒の生産量ともに減少の一途だったらしい.一方で吟醸酒のブームが1970年代に起こったこともあり,酒の品質は総じて上昇しているということになる. 佐藤總夫さんについては銘柄を当てる唎酒でパーフェクトな結果を出して,一躍有名になったという伝説がある,それについての記録の所在が分かれば教えてほしいと亀井さんを含め笹舟会のメーリングリストに問いかけたが,誰からも回答がなかった.ということはやはり伝説ということなのだろうか. 河野裕昭「写真集 大吟醸」(「写真集 大吟醸」を出版する会) 佐藤さんの「文化の香り 大吟醸」は,文章は佐藤さん,写真は河野さんという分担で企画されていた.しかし,佐藤さんの文章がなかなか完成しないので,河野さんの写真集だけでも先に出そうということになり,そのために「「写真集 大吟醸」を出版する会」が1995年初めに結成された.ぼくもその発起人の一人になっている.ぼくが肝臓病のため7年間笹舟会を休会して,1993年に復帰したわりとすぐ後である. 写真集は1995年に出版され,自分も出版する会のメンバーとして2冊を保有している.これは素晴らしい写真集である.ただ,これまで写真を眺めたことはあっても,それぞれをじっくり見たとは言えず,挿入されているキャプションや説明にもほとんど注意を払ってこなかった.「笹の舟」を通して読んだことをきっかけに,この写真集も改めて時間をかけて見てみた. 取り上げられている酒蔵は,菊姫,四季桜,豊の秋,上喜元,菊の城,香露,西の関,繁枡,華鳩の九蔵である.河野さんは酒の仕込みのシーズンに,何年間もこれらの蔵に通い,その仕込みの工程を丹念に撮影した.とくに有名になったのは麹が破精(はぜ)込んだ米の写真で,それまで誰もこのような写真を撮ったことがなかった.まさに糀の花が咲いている姿,菌糸がコメの芯に食い込んでいるさま,が見事に捉えられている.しかし,素晴らしいのは麹の写真だけでない,洗米,浸漬,蒸米,室仕事,酒母造り,醪仕込み,上槽といった工程の様々な場面,携わる人の動作や表情が,見事に捉えられている. ここに収められている冨田勲さんと難波康之祐さんの文章は,「笹の舟」にも再録されている.いずれもすでに故人になられているのが,時代の経過を物語る. 河野さんは若い頃から水俣病やカネミ油症を追ってきた社会派の写真家で,吟醸酒というテーマはそれらとやや異質に見えるが,本人の中ではどこかで繋がっているのだろう.他に知られた写真集には,「水車の四季」がある. アンリ・ファーブル,奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 (第4巻上・下)」(集英社) 第3巻を読んでから,Harariの本を3冊読んだこともあって,間が空いた.しかし,第3巻の感想にも書いたようにファーブル自身が,第3巻の最後には悲観的な見通しを語っていて,3巻と4巻の間に5年の歳月が経っているという.それでも若い女性と再婚し気力を回復させて本書を完成させたことは,喜ばしい. 相変わらずハチの話が続く.狩りバチに限らず,ハキリバチ,モンハナバチなども扱われる.しかし,中心はやはり,クモを狩るキゴシジガバチやヒメベッコウ,ドロノキハムシを狩るドロバチ,ミツバチを狩るミツバチハナスガリ,シャクトリバチを狩るユリウスジガバチ,といった狩りバチであり,それらの生態の記述は生き生きとしている.第12章で,ファーブル自身の研究成果でもっとも大きなものは,狩りバチの麻酔術の発見だとしている.しかし,当時はその研究に対する批判がいろいろあったようで,第15章はまるまるそれらの批判に対する反論に充てられている. なお,下巻の最後の17章と18章ではカミキリムシが扱われる.それは幼虫が木の幹に坑道を掘って住むということから登場する.タマムシの幼虫が掘ったトンネルには,ツツハナバチやハキリバチが巣を造る.18章のタイトルは「キバチ」だが,途中まではカミキリムシの話の続きで,キバチもカミキリムシと同様に幼虫は木の幹に住むという点で共通点がある.ただし,カミキリムシは成虫が木の幹から脱出するための準備を,幼虫が木の表面近くまで坑道を造って脱出口を用意するのに対し,キバチは成虫が自分で幹を齧って脱出する,という違いがあるそうだ. 進化論批判も続く.しかし,奥本の訳注を読むと,ハチなどの昆虫の能力が進化論的にどう説明できるか,現在でもまだ謎らしい.だからファーブルのややエキセントリックな進化論批判は,「現代の眼からすれば愚かなもの」とばかりは言えないようだ. 本巻で繰り返される主張の1つは,「形態は行動を決定しない」というものである.とくに第9章の「モンハナバチ」はこの主張が副題となっている.モンハナバチには綿毛で小部屋を造る仲間と樹脂で小部屋を作る仲間とがあるが,両者は形態による分類学者は同じ仲間として区別しない.しかし,巣造りの行動としては明確に異なる.それである分類学の権威は大腮の形の特徴で区別できるというが,ファーブルはその違いは説明力がないとする.ファーブルは構造より行動が重要だと力説する.その行動がどう形成されるかについては,進化論が本能の中には後天的に獲得された習慣がある,とするのを批判している.しかし,これはダーウィン流の進化論ではなく,獲得形質は遺伝しないことはすでにファーブルの時代にも知られていたはずだから,的外れのはずである. ファーブル自身は,本能は完成された能力で固定的なものだとする.一方,本能の他に「識別力」というものがあって,それは現実に即した柔軟性を指していると言う.それは獲得される性質ではなく,潜在的に備わったもので,必要になると現れる.たとえばツツハナバチはアシの茎に巣を造るが,その中に小部屋を造るのに,小さいアシなら仕切り壁を順々に立てて仕切っていけばよい.その場合は,まず花粉と蜜の山を置き,その真ん中に卵を一つ産んで,その後に仕切り壁を造る.しかし,アシの口径がより大きい時は,蜜や花粉を蓄える作業の際に内壁に肢がうまく掛からないので,先に仕切り壁を造ってそれから食料を運んでくるという.これは茎の口径に応じた識別力だという. しかし,ファーブルが本能や識別力がどのように生まれてきたのかについて,どう考えていたのかは謎である.すべて最初からあったというのだが,しかし,神が創造したということは一切言わない.ファーブルはカトリック教徒だったというが,進化論に与せず,創造主による生物の創造も少なくとも陽には肯定しないとすると,どのような立場だったのだろうか.きわめて饒舌な昆虫記の中にあって,その点について沈黙しているのは不思議だ. 今,並行してプルーストを読んでいる.どちらもフランス語からの翻訳で大作を読んでいることになるが,一方は19世紀後半で,他方は20世紀前半になる.両者の生没年はWikipediaによれば,ファーブルは,1823年12月21日~1915年10月11日,プルーストは1871年7月10日~1922年11月18日で,生まれた年に50年の開きがあるが,ファーブルが長生きだったこともあって,生きている時代は45年も重なる.「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家の方へ」では植物のサンザシが重要なテーマの一つだが,ファーブル昆虫記のこの第4巻にサンザシが出てくる.奥本大三郎は丁寧な訳注をつけているだけでなく,現れる動植物すべてに脚注として,和名,学名,説明,多くの場合に図という図鑑的な情報を手間を惜しまず与え,前の巻にすでに出ていても,それを再掲するだけでなく第何巻第何章というリンクを示す.さらに巻末に和名学名対象リストを用意している.和名がないものについては,奥本自身がそれを作っていることもある.そしてすべての和名に漢字表記をつけている.カタカナ表記が標準化している現代では,これがとても新鮮で面白い.たとえば「オウシュウキゴシジガバチ」は「欧州黄腰似我蜂」である. さらに脚注とは別に章末に訳注をまとめているが,それらに面白いものがある.この第4巻上第7章「ハキリバチ」の訳注に次がある. 「セイヨウサンザシ: 小さな白やピンクの花をつけ,香りがよいため,プルーストなどフランスの文学作品にもよく出てくる.フランス全土に分布し,垣根などに用いられる.」(p.225) なお,セイヨウサンザシはメイフラワーとも言うらしい.5月に花が咲くということだが,あのメイフラワー号の名前の元である. マルセル・プルースト,鈴木道彦訳「失われた時を求めて 第一篇 スワン家の方へ I,II」(集英社文庫) 「失われた時を求めて」を最初に読んだのは,学部の学生の時で1970年である.読んだのは第五篇の「囚われの女」でやはり鈴木道彦訳だった.当時,親父が取ってくれていた中央公論社の「世界の文学」の1冊で,なぜかこれにずいぶん感心した.当時,「失われた時を求めて」はいくつかの出版社から出ている文学全集にばらばらに入っていて,続けて買ったのが,筑摩書房版の「世界文學大系」に収められた「スワン家のほうへ」(淀野隆三,井上究一郎訳)である.これには1970/5/9に読み始め,同6/11に読了という書き込みがある.大学院に入ったばかりのタイミングで,暇だったのだろう. その後買ったのものとともに,当時買ったこれらの本を並べると,次のようになる. 「世界の文学 32:囚われの女」(鈴木道彦訳,中央公論社,1966年1月初版) 「世界文學大系 52:スワン家のほうへ」(淀野隆三,井上究一郎訳,筑摩書房,1969年9月初版第14刷) 「豪華版 世界文学全集 1-15:花咲く乙女のかげに」(井上究一郎訳,河出書房新社,1969年9月第13版) 「世界文学全集 48:ソドムとゴモラ」(井上究一郎訳,筑摩書房1970年7月第1刷,古本として文成堂書店で200円で買っている) 「世界文學大系 58A:ゲルマントのほう」(井上究一郎訳,筑摩書房,1978年12月初版第1刷) 「世界文学大系 59B:見出された時」(井上究一郎訳,筑摩書房,1982年8月初版第1刷) これは買った順になっていると思うが,しかし読んだのは最初の2冊で,「花咲く乙女のかげに」は多分途中で挫折しており(ただ,現在栞が入っている場所が正しいとすると,本文496ページ中の408ページの位置なので,8割以上読んだことになる),後の3冊は買っただけでまったく読んでいない.また第六篇の「逃げさる女」は買ってもいない.法政にいる間に,定年後にでも読もうとこの集英社文庫版全13巻を買ってあった.しかし,今回それに手をつけた理由は,NHK/BSで放送された映画で録画しておいた,「スワンの恋」を見たからである.これは1983年製作のフランスと西ドイツの共同作品で,監督はフォルカー・シュレンドルフ,スワン役はジェレミー・アイアンズである. 「スワン家のほうへ」を読んだのがあらかた50年前なので,ほとんど忘れている.そもそも,この第一篇が「コンブレー」「スワンの恋」「土地の名・名」の3部構成になっていたことすら忘れていた.「失われた時を求めて」の第一のテーマは記憶であると,訳者がまえがきで紹介している.プルースト自身がこれは「無意識の小説」であり,「意識的記憶」と「無意識的記憶」との区別の上に成り立っていると言っているそうだ.その意味で,読者としてこれをほぼ50年前に読んだ記憶を引き出す行為にも意味があるが,あの有名なプチ・マドレーヌの場面の他に,かなり鮮明な記憶があったのは,マンタンヴィルの2つの鐘楼ともっと遠くのヴィユヴィックの鐘楼が,夕陽の中で移動するにつれ色と形を変えて行く情景である(1のp.379以降). ファーブル昆虫記第4巻に関してサンザシのことを書いたが,「スワン家の方へ」ではコンブレーで家族でよく出かける2つの散歩道,「メゼグリースの方」(「スワン家の方」と同じ意味)と「ゲルマントの方」のうちの,前者の道沿いの生垣としてサンザシがよく登場する. 「教会を出ることになって,祭壇の前にひざまずいた私は,ふたたび立ち上がろうとしたときに,突然サンザシからアーモンドのようなほろ苦くしかも同時に甘い香りの立ち昇るのにきづいた.」(1のp.247) 「サンザシの香りは,まるで私が聖母の祭壇の前にいるように,ねばっこく,限られた範囲にひろがっている.」(同p.296) 次のページp.297には「サンザシ」の語が5回も出てくる.その直後,私はジルベルトに初めて出会う.また,帰宅した後で,一歩も外に出られないレオニ伯母に対し,私の祖父が言う. 「レオニや,今さっき私たちといっしょにいられたらよかったんだがなあ.タンソンヴィルは見ちがえるようだったよ.わしが思いきって手をのばせば,あんなに好きだと言っていたバラ色のサンザシを一枝折ってきてあげられたところだけど」(同 p.306) つまりサンザシがジルベルトとの出会いだけでなく,レオニ伯母にも強く結びついている. そしてコンブレーからパリに戻るとき 「やがて野バラにとってかわられるサンザシが,花から花へと生垣に沿って一面に発している匂い」(同p.387) 一方,驚いたことにこの「スワン家の方へ」の中で,ファーブル昆虫記が言及される箇所がある. 「ファーブルが観察したあの膜翅目のジガバチは自分の死後も子供たちのために新鮮な肉が絶やされないようにと自分の残酷さの助けを解剖学に借り,ゾウムシやクモをつかまえると,見事な知識と腕でもって,肢の運動を司る神経中枢をぐさりと突き刺してしまい,しかも生命の他の機能には手をつけずにおき,このように身体の麻痺した昆虫のそばに卵を生みつけるので,その卵が孵ったとき幼虫は,従順で無害な,逃げることも抵抗することもできない,しかもひとつも腐っていない獲物を与えられることになる.このジガバチのようにフランソワーズは,...」(同p.268) コンブレーという町が実在するのかネット上で調べると,マルセル・プルーストの父,アドリヤンがイリエという田舎町の出身だが,コンブレーはそこがモデルである.「失われた時を求めて」で有名になったので,プルーストの生誕100年を迎えた1971年に,イリエとコンブレーを合体させイリエ=コンブレーを町の名前としたそうだ. この文庫の1の解説を松浦寿輝(ひさき)が,2の解説を工藤庸子が書いている.どちらも駒場の同僚だったが,とくに親しく口をきいたことはない.Wikipediaで調べたら,工藤さんは1944年生まれでぼくより4つ上,松浦さんは1954年生まれで6つ下だ.松浦さんとは駒場寮紛争時に特別委員会として教員の動員体制を取った時に話をしているかもしれないが,工藤さんとはそういう記憶もない.しかし,駒場寮紛争時の学部長だった市村さんが,今日は工藤さんと話をしたと嬉しそうに言っていた記憶がある.工藤さんは確かに美人だった. 折口信夫「大嘗祭の本義」(Kindle版 折口信夫全集) 今年の5月に新天皇が即位して,11月には大嘗祭が行われる予定だという.それに関連して,折口のこの作品が新聞の読書欄で取り上げられていた.Kindle版の折口信夫全集は以前に導入していたが,「死者の書」を読みかけてやめていた.この機会にこの「大嘗祭の本義」を読んでみた. 折口の書くものは歴史なのか,他の何かなのだろうか.たとえば 「天子様が,すめらみこととしての為事は,此国の田の生(ナ)り物を,お作りになる事で天つ神のまたしををお受けして,降臨なされて,田をお作りになり,秋になるとまつりをして,田の成り物を,天つ神のお目にかける.此が食国(ヲスクニ)のまつりごとである.」 のようにすべて断定調で語る.まるで自分が古代に生きて見てきたように言うが,その論拠はとくに示されない.歴史史料の引用は,全篇を通じてほぼまったくない.もう少し自分の見解であるということを示す表現も,まれにはある. 「私は,祭政一致といふ事,まつりごとが先で,其まつりごとの結果の報告祭が,まつりであると考えへて居る.祭りは第二義的なものである.」 その場合も,その論拠は示されない. このような感じで,「大嘗」と「新嘗」の区別や「神嘗祭」「神今食」「相嘗祭」との関係などが同じように断定的に述べられる.しかし,いつの時代のことを言っているのか,よく分からないところも多い.奈良や平安の時代に変わってしまったというような表現があるから,それより前の時代のことを言っているようではあるが.もともとの表題は「民俗学より見たる大嘗祭」とするつもりだった言うが,民俗学なら歴史学と違って文字史料を重視しないということなのかもしれない.しかしそれでも,根拠は必要だろう. この文章は「昭和三年講演筆記」という記載が底本にはなされているという.初めの方に 「此処で申して置かねばならぬのは,私の話が,或いは不謹慎の様に受け取られる部分があるかも知れない,といふ事である.」 とあるのが時代を感じさせる.昭和の大嘗祭は確かに昭和3年に行われたらしい.だからこの作品はそれに関連して行われた講演の記録と思われる. 鹿島茂「馬車が買いたい!―19世紀パリ・イマジネール」白水社 日経書評欄の「半歩遅れの読書術」で,楠木建という経営学者が鹿島茂の「大読書日記」を紹介していた(5/25).これは青土社から2015年に出た本らしい.それで買ってみようかなと思ったが,600ページ越えという大部な本で,値段も4000円近くするので,ちょっと考えものと思ったときに,この「馬車が買いたい!」を昔買ったまま読んでいなかったことを思い出した.何で買ったかも,何で買ったまま読んでいないのかも,覚えていない.この本の初刷は1990年に出ていて,1991年にサントリー学芸賞を受賞しているが,持っているのは1996年に出された第5刷である.1996年は東大に移ってから2年後なので,本書を知ったきっかけとしては,UPの4月号に毎年載る「東大教師が新入生にすすめる本」で見たという可能性もあるかと思ったが,調べたところ1996年前後のリストには見つからなかった.それでとにかく,この機会に読んでみようと読み始めた. 本書のテーマはバリだが,時代は19世紀前半に限定される.その手法はこの時代を舞台とするフランスの小説を分析するというもので,バルザック,フロベール,ユゴー,スタンダールの作品に出てくる主人公が,主な題材である.それらの主人公に共通するのは,田舎からパリに出てきて,そこでの成功を夢見て大学生活や女性との恋愛や社交生活を送るということである.パリに来る時は乗合馬車に乗り,パリでは安い下宿やレストランを利用する.その経済的な分析が面白い.食費,部屋代,洗濯代,などにいくら使い,家からどれほどの仕送りを受けていたか,というデータが集められ比較される.その尺度として,1フランは現在(といっても1990年だが,物価はあまり変わっていないだろう)の日本の価値では1000円,1フランは20スー,だから1スーは50円,などという換算は分かりやすい. 前半では学生の貧乏暮らしに多くのページが当てられるので,どこから「馬車が買いたい」というような贅沢な話になるかというと,最後の2章がそのものずばり,「馬車を買いたい」という表題になっている.これらの主人公たちが,出世の野心を燃やすきっかけは,共通してシャンゼリゼ通りで馬車の行列を見る場面になっているという.天気のよい日曜にシャンゼリゼ通りに豪華な馬車が集まって来て,貴族やブルジョアがこれ見よがしに富を見せびらかすという習慣があったという. 高級な馬車へのあこがれは,ポルシェやフェラーリなどの現代の高級車へのあこがれに通じるところがあるが,必要な財力は桁違いである.馬車を買うだけでなく馬を買い飼育しなければならないが,そのために人を雇い厩を用意し飼料を調達する.さらに馭者がもちろん必要だし,キャブリオレという馬車のタイプだと後ろ立ち台があってそこに立つ従者も雇わなければならない. 馬車のタイプはたくさんあって,裏表紙に20種類の馬車の絵と名前が載っているが,二輪か四輪か,何人乗りか,などで分類される.典型的な四輪馬車の一つにクーペがあるが,現代の自動車のタイプにもこの名前が使われている. 第17章の「馬車が買いたい(その二)」は, 「われわれ二十世紀の日本人が十九世紀のフランス小説を読んでいるとき,何がわからないといって,馬車の記述ほどわかりにくいものはない.おそらく,日本の読者は「一頭立て軽装二輪馬車」とか「二頭立て箱型四輪馬車」などと訳者が苦心の訳語をつけても,説明訳の部分は飛ばし読みして,おそらくはただ「馬車」というおおざっぱな概念だけ了解しているはずである.」 と書き出されている. 今読んでいる「失われた時を求めて」の時代は,本書で取り上げられている時代から半世紀後のことになるが,読者としてやはり同じような体験をしている.「スワンの恋」では,スワンがオデットを馬車で追いかける場面で,馭者とのやりとりが印象的であり,映画でも馬車をうまく使っていたが,その馬車は何かというと,少し後に次のような記述がある. 「夜会から出てくると彼はさっさと自分の無蓋四輪馬車(ヴィクトリア)に乗り込み,足の上に膝掛けをひろげ…」(「スワン家の方へ II」p.115). このヴィクトリアの図はもちろん本書の裏表紙にあるが,この本には巻末付録として鹿島が以前に書いた「馬車の記号学」という文章が再録されていて,そこにも記号学の手法で分類されている馬車群の中に,ヴィクトリアは再三出てくる. あるいは,今たまたま読んでいる「花咲く乙女たちのかげに」にもたとえば次のような場面がある. 「そして毎日彼女がその幌つき四輪馬車(カレーシュ)で散歩するために降りてくるとき,荷物を持ってうしろに従う小間使いと,前を行く従僕とは,まるで自国の旗を掲げた大使館の入口に立つ歩哨のように,彼女のために見知らぬ外国の土地での治外法権を保証しているように見えた.」(「花咲く乙女たちのかげに 1」p.529) ここで「彼女」というのはヴィルパリジ夫人である.カレーシュももちろん図が載っていて,「記号学」でも分類されている. パリにはこれまで4回行っているが,最後が2001年だからずいぶん前のことになる.本書にはカルチェラタン,リュクサンブール公園,チュイルリ公園,パレロワイヤル,グラン・プールヴァ―ルなどパリの地名がたくさん出てくるが,それらの場所についての土地勘みたいなものは,なくなっている(というよりもともとないという方が正確である).この本が出たときは,まだGoogle Mapもない時代なので,もう少し地図を入れてくれたら親切だったろう. アンリ・ファーブル,奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 (第5巻上・下)」(集英社) この巻で,ようやく狩りバチから離れて,別の種類の昆虫が出てくる.その最初が第1巻の初めに登場したスカラベである.しかし,今度はファーブルがセリニアンに広い土地を得て,そこでじっくりとスカラベを観察することができた後の話で,第1巻では不明だった多くのことが明らかになる.初期の研究では,スカラベが転がしている糞球には卵は入っていないことを明確にしたが,それでは卵はどのように産み出され,孵化し育つのか,ということはわからなった.しかし,羊飼いの青年が西洋梨の形をした球を持ってきて,その中に卵が入っているという.調べてみてそれが正しいことがわかる.通常見られる球体の糞は食料用で,この卵を梨型のとがったところに入れているものは,それより上質の材料で作られており,地下の巣に収められている.西洋梨型の形状は温度と湿度を卵のために理想的に保つのに最適だとファーブルは言う. 5章までがスカラベの話で,その後12章まではスカラベの近縁種の各種のコガネムシの話が続く.さらに自分にとっても身近なセミやカマキリが取り上げられて,興味深く読んだ.セミについては,北米の周期ゼミに13年周期と17年周期のものがあることがよく知られているので,身近のセミもそのくらい土の中で過ごすのかと思っていたが,Wikipediaでは「幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)」とある.そこからリンクの張られている「広島市 - インターネット講座「セミ博士になろう!!」 - 広島市森林公園こんちゅう館監修」では,「ツクツクボウシは3年くらい、アブラゼミは5年くらい、その他長いもので15年くらいかけて5令幼虫になる。」とあって,この2つだけでもアブラゼミの幼虫期間の記述に違いがある.とにかく土中で5回脱皮して5令幼虫になるという点は,セミの種類によらず共通らしい. セミの成虫の寿命は1週間ぐらいと言われていたが,今年になって岡山県の高校生が独自の調査手法により,アブラゼミが最長32日間,ツクツクボウシが最長26日間,クマゼミが最長15日間生存したことを確認し発表して話題となったそうだ(山陽新聞,2019年06月19日). ファーブルによれば,ヨーロッパではアルプス以北にセミがいないので,フランスでも南の方の人間しかセミを見たことも鳴き声をきいたこともない.イソップの「アリとセミ」の寓話は,その意味で北ヨーロッパの人間にはピンとこないので,「アリとキリギリス」に変えられたりしている.しかし,元の話の「アリとセミ」でもおかしくて,それを翻案しているラフォンテーヌの寓話では,そもそも冬にはセミの成虫はいないのにアリに物乞いに来るのがおかしいし,麦粒を貸してくれというのもセミはそんなものを食べないから変だ.大体,セミが木から吸い出している樹液を横盗りするのがアリで,アリはセミの肢や頭にしがみつくなどの邪魔さえする.さらにセミが死ぬと,その死骸に群がって残酷にも食べてしまうのがアリだという. セミが地中にいる期間については,ファーブルは単に「セミは4年間も土の中にいる」(p.132)と書いているだけである.これはファーブルが住んでいた南フランスのセミ(5種類あるという)のことらしいが,種類によっても期間は同じ4年なのかとか,これは観察の結果なのかといった詳しいことは書いていない. また,成虫の寿命についても,同じようにごく軽く触れているが,それは 「5,6週間ものあいだ,歓喜に満ちた生活を送ったあとで,歌手のセミが寿命が尽きて木から落ちると,その死体を太陽が干からびさせ,通行人が踏みつぶす.」(p.106) というものである.これを見ると,岡山の高校生による「発見」は,種類に違いがあるとはいえ,ファーブルの時代にすでによく知られていたことのように見えてしまう.しかしそのだいぶ後に,「セミの命は,ほぼ5週間,ということになる」という記述があるが(p.226),しかしその根拠はセミが最初に鳴くのは夏至のころで,終わりが9月の半ばであり,土の中から全員いっせいに出てくるわけではないので,初めと終わりの日付の平均をとって推測したという,きわめていい加減なものであることが分かった.だから岡山の高校生の観察は,ダーウィンを超えたものだろう. また,奥本の訳注で,「成虫までを含む寿命は,アブラゼミとミンミンゼミで5年,ニイニイゼミで4年であることも解明されている.」とあった(p.229).しかし,成虫の寿命については奥本も言及してない. 吉村昭「生麦事件」(新潮社) 「風雲児たち」を相変わらず出るたびに買って読んでいるが,今年の5月に出たのが1冊まるまる生麦事件を扱っていた.それでずいぶん前に買って積読していたこの書を引っ張り出してみた.1998年9月に発行された本で,ぼくの持っているのは翌年2月に出た第10刷である.昔買った本を,何かのきっかけで読むという経緯は「馬車が買いたい」と同じである. 生麦事件とは,文久2年8月21日(1862年9月14日)に,生麦村(現・横浜市鶴見区生麦)付近で薩摩藩島津久光の行列に入り込んだ乗馬のイギリス人4人を,供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡,2名重傷)した事件である.その事件を叙述するだけなら,事件の前後を詳細に書いたとしてもそれほどの分量を必要としないだろう.しかし本書は420ページを超える.歴史として重要なのは,生麦事件を契機として起こった薩英戦争と馬関戦争(長州とイギリスなど四カ国との間の戦争),およびその結果としての攘夷の方向転換であり,その経緯がかなり詳しく述べられている. そもそも馬で散策していた英国人の男女4人に対し,藩主の行列に入り込んできたのが当時の感覚からしていかに非礼な行為だとしても,いきなり抜刀して切りつけ致命的な傷を負わせるというのは,薩摩の一部の武士が攘夷の思想にいかに凝り固まっていたかを示すものだろう.また長州の過激な攘夷論者たちは京都に陣取って,朝廷に迫り攘夷決行の勅命を幕府に出させている. 薩英戦争でも馬関戦争でも,圧倒的な銃や大砲の性能と量の差にかかわらず,薩摩も長州も案外善戦していて,英国などの外国勢力にかなりの被害を与えている.それにもかかわらず,戦争後,冷静に力の差を認識し,和睦交渉を自ら求め,賠償の支払いにも応じている.さらに,攘夷論の無意味さに気づき,過激な攘夷一辺倒の藩内世論を変えていく.それが明治維新につながるのである.その後の,太平洋戦争に至る近代日本の政府や軍部の行動とは大きく異なるのに驚かされる. 去年の大河ドラマは西郷隆盛だったが,そのようなドラマでは西郷が心酔する島津斉彬と比べて,久光は影が薄いというか,西郷の心情としては反発の対象として描かれる.しかし,吉村はかなり意図的にと思われるが,久光が開明的な考え方を持ち,攘夷論者を抑え込んでいく政治力・指導力を発揮していく面を強調している. マルセル・プルースト,鈴木道彦訳「失われた時を求めて 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I,II」(集英社文庫) 1970年に途中まで読んでいて,栞の位置から8割方読んだのではないかとすでに書いているが,汽車でどこかに出かけるということぐらいしか覚えていなかった.肝心なアルべルチーヌらの「花咲く乙女たち」が出てくる前に,読むのをやめてしまったようで,乙女たちについての記憶がない. そもそもこの第二編は,第一部「スワン夫人をめぐって」と第二部「土地の名・土地」という構成になっている. アルべルチーヌたちが出てくるのは第二部の後の方だから,そこまでたどり着かなかった可能性は十分にある. 「スワン夫人をめぐって」でまず驚くのは,「スワンの恋」では破局を迎えたかのようなスワンとオデットが結婚していることである.どうしてそういうことになったのか,その経緯はまったく明かされない.しかも「私」はそのスワンとオデットの娘ジルベルトに恋をするのだが,そのジルベルトはスワンと結婚する前に生まれているようで,いわば連れ子である.それが本当にスワンの子なのかどうか怪しいと思われるが,そのような疑いは小説の中にまったく表されていないし,ジルベルトが生まれてきて,どのようにスワンとオデットの子供として育てられてきたのかについても,まったく触れらていない.「私」がスワン夫人と会ったのは彼女とシャルリュスとが一緒にいた時である.たとえばジルベルトはシャルリュスの子供ということも考えらえるのではないか.しかし,そのようなことは小説の中でほのめかされていないだけではなく,解説や注を見てもまったく議論されていない.そういえば映画「スワンの恋」では,シャルリュスをアラン・ドロンが演じていた. 「私」とジルベルトとの関係は,「スワン家の方へ」の「スワンの恋」におけるスワンとオデットとの関係に並行するところがある.それはプルーストが意図したものだろう.ただ違うのは,「私」はジルベルトにふられてしまうのに,スワンとオデットは結婚したことである. この巻で登場するアルベルチーヌを始めとする花咲く乙女たちと同様に重要な登場人物は,友人となるサン・ルーである.ゲルマント公爵夫妻の甥で,ドンシエールの駐屯部隊にいる.これが次の「ゲルマントの方」に繋がるわけである. 小熊英二「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(講談社新書) 小熊の本はみな長い.これも新書なのに600ページある.ただ,誤植をいくつか発見したので,講談社のサイトの問い合わせ機能を使って以下のような問い合わせをした. 「大変な力作で感心しましたが,いくつか誤植に気づきました. p.257「述べる側」→「述べる例」 p.502「小池を同じ試算」→「小池と同じ試算」 p.508「国公立文理系」→「国公立理系」 私の持っているのは7月20日発行の第1刷なので,その後訂正されているかもしれませんが.」 これには 「ご指摘いただきましたこと、心より深謝いたします。 お恥ずかしい限りですが、ミスによる誤植です。 ただいま編集部で、修正を施すように対処しております。 同様のミスを犯さないように、関係部局に指示を徹底いたします。」 という返事がすぐに来た. これまでの小熊の本で,たとえば上下合わせて2000ページの「1968」でも,このような誤植に気がつかなかった.講談社も杜撰になってきているのか. 日本の社会には3つの生き方があるという.それを小熊は「大企業型」「地元型」「残余型」と呼ぶ.日本型雇用の終身雇用,年功序列,新卒一括採用,定期人事異動,定年制,という特徴は,すべて大企業型のものである.それに関連して,大部屋オフィス,人事考課,企業内組合(職種別組合の不在)という特徴も出てくる. これらの特徴がどのように形成されたかといえば,明治期の官庁や軍隊にその起源があるという.軍隊組織はどこも似たような階層組織であり,官庁もとくに日本が範としたドイツは似たような組織だが,民間企業が軍や官庁の組織に近いものを大幅に導入しているのは日本の特徴だという.その一因は,日本製鉄や三菱のように官営企業の民間への払い下げが企業の出発点になっているケースが,とくに大企業に多いことにあるらしい. ぼくは情報処理学会の認定情報技術者(CITP)のとくに企業認定制度にしばらく関わってきた.これは多くの大企業が持つ企業内資格制度自体を審査の上認定することにより,その企業内資格を持つ個人に間接的にCITPの資格を与えるという仕組みである.この企業内資格制度がかなり日本独自の由来を持つものであることを,少し前に知ったが,本書で改めてその特徴を認識した.企業内の職能資格制度は起源は戦前の官庁・軍隊型のシステムにあるというのが小熊の指摘だが,1960年代ぐらいに多くの大企業が導入した.その主な狙いは賃金コストの抑制とポスト不足への対処であった.したがって,これを設計運用するのは人事部の分掌である.だから,情報処理学会の企業認定審査委員会のメンバーにも,人事系の人が多い.資格として評価されるのは,当該企業内で積み上げてきた経験・知識であって,他の企業で役立つものではない.一時,そのような職務規定,職能資格の標準化・共通化の動きがあったが,企業は社員をほかに取られることを危惧して,政府が構想した職務給や企業横断的労働市場育成の動きに反対した.組合も,企業内組合なので,そのような意識がなかった. これに関連して,日本で高校への進学率の上昇,続いて大学への進学率の上昇が企業の雇用に大きな影響をもたらしたことについての指摘がある.それは賃金が職務内容で決まる職務給ではなく,学歴と勤続年数で決まるために,進学率が上がると企業にとって賃金コストが上がるという結果がもたらされるからである.その結果まず起こったことは,高卒者より中卒者を好んで採用するという行動である.さらに進学の抑制と工業高校の充実を政府に要望するということが,1950年代の終わりから1960年代に起こる.これはしかし,民衆から激しく批判される.職能資格制度を多くの企業が採用するに至った背景に,このような状況があった. しかし,進学率が向上するという同じような傾向がもたらす現象を,日本と米国と比べると違いがあるという.アメリカでは4年生大学に進学しただけでは専門職や管理・営業職に就けないので,大学院の進学率が伸びる.しかし,日本では大学院への進学率は伸びず,大学レベルでの序列化が進む.日本における学歴重視は,大学で獲得した専門能力を評価するものではなく,段階の高い入試を突破した者は潜在的能力が高いと判断するからである.そこでは「地頭のよさ」「地道に努力する」「要領がよい」といった一般的能力が期待される. 確かに大学で専門教育を行い学生を育成しても,企業が評価するのは「声が大きい」とか「元気がよい」とかいういわゆる「コミュニケーション能力」に偏重しているような状況は,おかしいと思ってきただけではなく,企業の人たちと就職や採用の問題を議論するたびに,その問題点を指摘してきたつもりである.本書で改めて,この現象が日本社会の根柢の仕組み基づくものであることを痛感した. 小川洋子「博士の愛した数式」(新潮文庫) Kindle版 最近この本に言及した新聞の記事を,少なくとも2つは見た.もともと2003年に出た本で,読売文学賞を取るなど評判を呼び,映画化もされた.また2005年度の第1回日本数学会出版賞も受賞している. ぼくはこのKindle版を,Kindle端末を買って割とすぐに購入した.Amazonの購入履歴を調べると,Kindle Fire HD 32GBは2012年11月23日に注文しており,本書のKindle版は2013/01/06に注文している.しかし,読んでいなかった.新聞記事に刺激されてKindleで読もうとすると,なぜか端末への配信に失敗する.実は,7/22に江南にゴルフに行ったとき,このFire端末を電車の座席の前のポケットに入れて,そのまま忘れてきた.その日か翌日に,JRの遺失物係に電話で問い合わせ,6時46分大船発籠原行きの湘南新宿ラインのグリーン車2両目のどの座席かという明確なデータを伝えたのに,見つからないという.電車にスマホを忘れたことは5-6回あるが,そのたびに戻ってくる.それもJRの遺失物システムでは見つからないと言われながら,何日か経ってドコモから連絡があり,どこそこの警察署に行ってくださいと言われることがこれまで3度はあった.それで水道橋警察,千葉警察,横須賀警察に行って取り戻している.これが不思議である.電車の中で乗客か車掌か清掃係が見つけたとして,そこで警察に届けることは考えられず,まず駅の遺失物係に届き,それから遺失物システムに登録されるはずだ.そこで1週間持ち主が見つからないと警察に行くというルートをたどる.スマホの場合はそのあと警察からドコモに連絡が行って,ドコモから登録している固定電話に連絡が来るものと思われる.しかし,Kindle端末の場合はSIMカードを入れているわけではないので,そういうルートでの連絡が来ない.しかし,スマホを忘れた時も,いつもどの電車の何両目という問い合わせをJRにしているので,JR遺失物システムの登録や検索機能に問題があるに違いない.以前,Gustavoが電車にリュックサックを忘れて遺失物係に問い合わせても,見つからなかったことがあった.多分,リュックサックとは言わずbackpackとでも言ったのだろう.Gustavoは諦めずに何度か訪ね,棚に自分のリュックがあるのを発見してこれだと言ったということがあった. 話が横道にそれたが,Fireを失くす前に本書の配信ができないという現象は出ていた.Fireを失くしてからは,他のKindle本は代わりにiPadのKindle readerで読んできた.しかし,iPadにもなぜかこの本だけ配信できない.ただ,PCではダウンロードできたので,今回はPCのKindle readerで読んだ. 広く受け入れられただけあって,よくできた小説である.数学の話題としては友愛数,完全数,素数,オイラーの公式などが出てくる.話の展開は巧みだが,博士の記憶が80分しか持たないという設定なのに,ルートと呼ばれる少年への愛情が持続しているようなのが,ちょっとおかしい. これを読んだ後,アマゾンのプライム・ビデオで映画も見てみた.アマゾン・プライムの会員ではあるが,もっぱら音楽を聴くだけで,映画はほとんど見ていない.しかし,このように必要に応じて過去の映画が見られるのは便利ではある.映画もよくできており,原作にかなり忠実であるものの,一部を変えたり付け加えたりしている.その変更部分も,たとえば野球の観戦は原作は阪神広島戦のところを,ルートが出る少年野球にしたところなど,かなり自然である. "Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis" (Kindle版) Jared Diamondのファンとして新刊は見逃さないところだが,今年5月に出たこの本を,翻訳が出版されるまで気がつかなかった.30年間ほど読んできたTimeもしばらく前にやめてしまったし,NYTなども電子版でもあまり見ることがない.ニューズウィークの日本版はdマガジンで時折読むが,この本の書評は出ていたとしても気がつかなかった.ただ,このところ主にKindleで読む英語の本は,翻訳が出てから存在を知り,面白そうだと思って元の本を買うパターンが多い. Upheavalという語は,あまりなじみがなかった.辞書には「大変動」「激変」といった訳語が載っている.本書の和訳本のタイトルは「危機と人類」である. 個人にとっての危機とその対処法を,国家にとっての危機とその対処法に対応させて論じている.危機に出会った国家の例として,黒船が来た時の日本,ソ連からの侵略の危機を迎えたフィンランド,軍事クーデターが起きたチリ,戦後のドイツ,やはりクーデターのあったインドネシア,そして大英連邦の一部だったが戦後アジアの一員としての自己を徐々に確立したオーストラリア,を取り上げ,それぞれにかなりのページを割いて論じる.ダイヤモンドはこれらの国それぞれに長く滞在した経験があり,日本を除く他の4か国の言語も習熟している. 日本については,明治期の日本だけでなく第2次大戦後の日本も危機から回復した例として取り上げられており,さらに現在の問題と今後の展望を論じるところで,また日本と米国が取り上げられる.現在の日本については地球環境問題,資源問題への消極的な姿勢と,過去の中国や韓国への非道な行為についての謝罪がない点につき,厳しい批判をしている.日本人としては耳が痛いが,その批判は大方受け入れざるをえないだろう. 同様に,現在の米国についても厳しい批判をしている.本書ではTrump大統領という名前はどこにも出てこないが,トランプ政権の行為,政策が批判されていることは明白である. 国家の問題を個人の問題になぞらえて論じているのが本書の特徴だが,Diamond自身の個人的な経験が随所に出てくるのも,それに関連した特徴である.これまで知らなかったが,彼はもともと生理学者だったという.父親はハーバード大学の医学教授で,当人もハーバードに入学,生理学を専攻し,成績優秀だった.そこで大学院は英国のケンブリッジに行ったのだが,そこで挫折を経験する.不器用なこともあって実験がうまくできず,絶望的になる.フィンランドに行ったのは,その時期だという.いったんは生理学をやめ,また学者になるという計画も諦めようとしたが,たまたまケンブリッジに来た両親に,もう1年やってみたらどうかと説得され,そこで失敗していた実験もうまくいくようになって,生理学の分野で業績を挙げる.文化人類学に転向したのは,それよりかなり後のことらしい. 彼の奥さんMarie Cohenは精神療法医で,その関係で個人が精神的な危機に陥った時に,そこからどう救うかという方法論に知識があり,それを国家の問題に敷衍して考察する,というのが本書のアプローチになっている.その点でも奥さんを通して得た知識を活用するという,個人的な立場を前面に出している. この本も紙ベースで500ページを超える.このぐらいの長さが暗黙の基準になっているようだが,最後の方はそれまでのまとめという性格の繰り返しが多く,無理に引き延ばして500ページにしているという印象もある. なお,薩英戦争に関して, After nearly a year of unsuccessful British negotiations with Satsuma, a fleet of British warships bombarded and destroyed most of Satsuma's capital of Kagoshima and killed an estimated 1,500 Satsuma soldiers.(p.113) と書いているのは間違いだろう.この間読んだ吉村昭の「生麦事件」には,薩摩側の死傷者数が英国側よりむしろかなり少なかったという記述があったのが印象に残っていた.たとえばWikipediaでは 「薩摩側の砲台によるイギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻の他、死傷者は63人(旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死を含む死者13人、負傷者50人内7人死亡)に及んだ。一方、薩摩側の人的損害は祇園之洲砲台では税所清太郎(篤風)のみが戦死し、同砲台の諸砲台総物主(部隊長)の川上龍衛や他に守備兵6名が負傷した。他の砲台では沖小島砲台で2名の砲手などが負傷した。市街地では7月2日に流れ弾に当たった守衛兵が3人死亡、5人が負傷した。7月3日も流れ弾に当たった守衛兵1名が死亡した。物的損害は台場の大砲8門、火薬庫の他に、鹿児島城内の櫓、門等損壊、集成館、鋳銭局、寺社、民家350余戸、藩士屋敷160余戸、藩汽船3隻、琉球船3隻、赤江船2隻が焼失と軍事的な施設以外への被害は甚大であり、艦砲射撃による火災の焼失規模は城下市街地の「10分の1」になる。」 とある.それでJared Diamondにメールを出してこのWikipediaの英語版などを引用し間違いではないかと指摘したら,ただちに返事のメールが来て "Thank you! Best wishes, Jared Diamond" とあったのには驚いた.こちらが出したのが日本時間で11:52,返事を受け取った時刻が12:48である.